2012年2月29日水曜日

平和的な変化を求めて(3)


しかし何よりも寛容さや平静さなどの魅力、特に良心的なものこそ、他のどんな力よりも勝る事は言うまでもない。このような能力を持つ王が国家を治めれば、国民はその王に対して自然と敬意を払い、そこに国家の秩序と安定が、そしてそれを土台とした国家の成長と豊かさがついてくる。それ故に民主主義ではなくとも、理想的な国家は叶えられることである。しかしその持続が短期であり、不安定なものである事は前章で述べた。しかし民主主義国家においても、為政者を「与える者」として考えれば、それは専制政治の王や皇帝、貴族と同じであり、民主主義下においてもその指導者のリーダーシップを説くのに、専制国家の王や皇帝、将軍を引き合いに出すことがあるのは、情報を「与える」側の人間の役割は、政治制度とは関係ないことを表している。ただ、民主主義国家と専制国家では、専制国家は国家の安定イコール専制者の安定となり、それがゆえに世襲や身分が認められ、民主主義国家では為政者の地位保全と彼の地位持続とは無関係であり、世襲の自動性は認められず、身分も原則的には存在しない。人間がその持つ欲求によって絶えず変化を起こすのならば、自動的な世襲や身分といったものによる安定は変化を阻害するものであり、その押しやられた変化の蓄積は、やがて堰を切ったように安定を押し流し、それは戦乱や混乱によって消化される。しかし民主主義国家は誰もが王になる機会を持ち、また王を選ぶことが出来るため、変化を受け入れるのには国民が王となる人間を、国法に従った方法で平和的に選択するだけで済むのである。それゆえに民主主義国家は、変化を受容し、国民の幸福を求め続けるには最良の政体であるはずなのである。
ところが、どの民主国家を見ても、現状ではこのような理想的な状況とはいえない。その理由として多くを上げる事は出来ようが、きりが無いので、その本質だけを述べれば、やはりそれは現状の安定を求めるが故の変化の蓄積である。この誰もが知らず知らずのうちに抱く欲求は、とても厄介な代物であり、またそれを押しとどめることは難しい。誰もが自分の若さを維持し続けたいように、自分の頑健な肉体をその死まで持続させたいように、そのような安定の欲求は、変化に対する抵抗なのである。多くの国民がそれを望めば、つまり自分の権勢、自分の立場や権利、保障、さらには自分の生活をも安定させたいと思えば、それは国家的な変化に対しての抵抗になる。それがゆえに民主主義国家においても、その指導的な立場に一度身を置いたもの、そこで成功を収めたものは、次代の成功者によって変化が起こり、自己の立場を覆さないように、かつての専制君主がおこなったのと同じ手法で身を守ろうとする。それは自己の立場を護るため味方を多く作り、また生活を持続できるように財をため、その死まで自己の思い通り行くように子供までをも管理する、そのような自己安定の持続のための、当たり前とされる様々な手段が、民主主義国家を民主主義国家たらしめなくするのであり、かつての専制国家同様、変化に対して堰を作り、知らず知らずのうちに貯めているのである。現在の日本はそれが決壊寸前であり、決壊を防ぐためには私たち自身で堰を開け、変化を放出しなければならない。そしてその流れを管理するためにも、私たち自身の手で、その流す量、流れる道筋を決定するため、基準を作らねばならぬのである。
ただ、一度安定に根ざした人間は、変化を行わせまいと全力で守り通そうとするし、立場を維持するためにどんな力でも利用しようとする。そのような人間にとって、私がこの稿を書く事も迷惑千万なことであり、有害なものと見なすであろう。ただ、よく考えてもらいたいのは、現在のままでは確実に日本には大きな変化が訪れる。そしてこれが「与えられた」変化であれば、敗戦の時の公職追放や農地改革同様に、現在の日本から恩恵を受けているものに対しての攻撃は「与えられる」だろう。自己の安定を護るためには、その攻撃者を味方にすべく、幾ばくかを捧げればよいと思っているかもしれないが、その攻撃者を納得するだけのものを捧げられるのはごく一部の人間だけであるし、過去の占領されし国民がどのような待遇であったかを考えると、攻撃者の保護など全く当てにならないものである。このことは、日本が朝鮮半島や中国においてどのような植民地政策を行ったのかを知れば、おのずとわかるであろうし、アメリカ人が日本で、また沖縄で、そしてシベリアにおいてロシア人が日本兵士をどのような境遇に置いたのかに、その答えは現れている。占領者など、どの国民もその行動は変わらない。ただ、自分たちのために、有利に占領国とその国民を使い果たすだけである。ましてや日本国債の最大の保有者が中国になれば、彼らは前の戦争によって受けた被害をも上乗せして、日本から収奪するであろう。日本など天災多く、国土も狭く、かつて「黄金の国ジパング」として栄えた資源も、今はそれほど期待できないのなら占領する価値はそれほどない。アメリカにとって、日本は橋頭堡になりえるだろうが、中国やロシアにとってみれば、無価値な国家に等しいかもしれない。ただ、現在残されている財を収奪すればそれで事足りるのである。もしかしたら溢れ続ける中国人民を受け入れるための国家へとなり下がるやも知れぬ。それを考えると「与えられる」変化によって、現在の日本から恩恵を受けている人たちの安定は確保されるのか疑問ではある。

2012年2月27日月曜日

新歩会 3月演説会


相模原市南警察署より「道路使用許可」をいただきました。
新歩会、私自身も初の街頭演説です。
[日時]
3月17日(土)13時から17時まで 相模大野駅北口デッキ下(おそらくマックの前かカラオケ館の前あたりになります)
3月22日(木)17時から20時まで 相模大野駅北口デッキ上
3月24日(土)13時から17時まで 相模大野駅北口デッキ上
*木曜日は17時まで仕事のため、開始時間が遅れます
*土曜日は休憩を挟みながら3回ぐらい演説をおこなうつもりです。ただ時間より前に終わるかも知れません。
*演説の日は、新歩会会報「青海波」を配ります。自作なので不出来なものですが、公開も考えていません。4月には新しい会報を作成し、配る予定です。

[道路使用許可取得について]相模原市の場合
1・道路使用許可は、申請書だけを出しても下りません。使用する場所の地図(Googleマップでもよい)、また配布物があるのなら、それらを各2部ずつ添付しなければなりません。
2・1回の申請で、同一箇所を1週間使用することが出来ます。複数個所で行う場合は、その箇所分、申請書を出さねばなりません。また、使用時間などについてはあらかじめ申請書に記載しなければなりません。相模大野駅北口デッキ上などは申請が多いため、「同一時間に2組まで」というルールがあります。先約順です。
3・道路使用許可は、所管の警察署だけで受け付けています。例えば相模大野駅の場合は相模原市南警察署であり、JR相模原駅の場合は相模原警察署となります。この点はいささか不便に感じるところです。
4・許可申請のために、2000円かかります。証紙は県の発行するものなので、警察署で購入するのが無難でしょう。私は焦って、収入印紙をコンビニで購入しました。もちろん受け取ってもらえません。(笑)
5・のぼりや旗、掲示物などを使用する場合、自分でそれを「ずっと持っている」のならば申請の必要はありません。固定しておいておく場合、さらに道路保有者への申請が必要だそうです。
6・申請は、当然の事ながら平日の17時までです。代理でも可能です。ただ、申請は本人がおこなった方が、色々な質問もあるので無難です。この点も、もう少し融通が聞くようになればと思います。

今回体験して一番感じたのは、やはり政治への敷居は高いということです。平日に仕事をしている人間は、計画を練ってチャンスをつかまなければ、申請をおこなうことすら出来ません。私は普段、相模大野駅まで徒歩ですが、今回は何日か自転車を駐輪場に置き、早く帰れる機会を逃さず、それでも締め切り5分前の到着でした。また1箇所2000円名ので、複数箇所を行う場合はその分払わなければならず、それを考えると政治に金がかかるのはうなずけますし、国民の政治参加も自主的なものでなくなるでしょう。こうした制度の面も、もう少し考えてゆかなければなりません。

2012年2月25日土曜日

平和的な変化を求めて(2)


ではこれらの国民はどのように争うのかといえば、かつては血と破壊を伴った争いであることはいうまでもない。ごく一部の人間が、専制者として政治権力を握っていた時代は、その専制者の交替こそが時代の変化だったが、その変化を促すためには、専制者と同じだけの力を持つか、もしくは専制者の持つ力を削り取るしかない。専制者が持つ軍の力と同等の力を集め、戦いによって専制者側の力を削り取る、それが基も単純で、誰もが納得でき、わかりやすい変化の受容方法であった。しかし、このような方法はその力を集める指導者を新たな専制者としなければならないし、その交替には、全く力を持たない国民の生活を破壊することが含まれる。確かに専制者が変われば新たな黄金時代を築く可能性もあるが、そのための犠牲は少なくなく、さらにはそのような時代が来るとも限らず、一度始まった混乱が何世代にわたって続くこともあり、それはだれにも予想できない。ある人間が99%まで勝利を収めても、たった一度の戦で形勢が逆転することもあれば、もしくはその勝利者が死去し、元の木阿弥になることもあるのである。そしてまた、一度力による交替を味わえば、それに誰もが飽きるまで繰り返される。それを現在の私たちは「娯楽」として、小説やドラマ、ゲーム、アニメなどで扱うが、当事者達にとってみれば、誰もが早く「自分の手」で終わらせたいと思っていたに違いないし、「与えられる」国民にとってみれば、長く続く混乱はただ迷惑なものに過ぎなかった。
中国のような一度混乱が収まれば長く王朝が続く国とは違い、ヨーロッパは狭い国土の中で小さな国家が寄り添い、その中で常に争いが繰り返されてきた。ヨーロッパ史において戦争の無かった時期などあるのだろうか。その争いに飽き、またそれを変えるべく思索を巡らした人間によって、民主主義は誕生した。民主主義の素晴らしい点は大きく2つある。それは国民が主権者であるのなら、誰もが国家において様々な機会を平等に与えられること。そして国家内における変化を国民自身の力によって選択することが出来、なおかつそれが多数決の原則によって、血を流し破壊を伴わずに済むことである。民主主義国家の原則は、憲法などの法によって定められており、そしてその法に対しても国民は様々な意見を出し、また改廃することが出来る力を持っている。それゆえに、民主主義国家の国民が真に自分の役割を認識していれば、言論以上の争いは起こらないはずである。
このように誰もが平等に機会を持っているのなら、それはかつてのように誰もが王になる機会を持っているともいえる。しかし王権を維持するのには、力を保つだけの才能が必要となり、過去において王権を手放さざるを得なかった者は、みなその力が無かったからである。ではその力とは何かといえば、どれだけ国民を納得させ、引き寄せることが出来るか、いわゆる求心力である。直接的な力である兵を集めるには将軍としての才能が必要であり、安定して税を国民に納めさせるには農工業に通じる博才が無ければならない。誰もが認める価値である金銭を多く持てば、それだけで簡単に引きつける事は出来る。






2012年2月22日水曜日

平和的な変化を求めて(1)


望もうが望むまいが、現在の日本の状況は、私たち国民に対して大きな変化を則し、その選択の時期は刻々と近づいている。もちろん、ここで変化を受け入れないという選択もあるが、将来へ多くの負債を築きあげ、また貨幣価値が国際間で連動しているのなら、国際社会のほうがそれを許さぬかもしれぬ。実際日本の通貨価値は、国際間の中では特異点であり、著しい不平等の中心であると思われても仕方がない。そしてもし通貨管理国にでもなれば、私たちが今、手にしている権利の恩恵は間違いなく消えうせるであろうし、食料を初めとする原材料を外国に依存している日本人にとって、通貨価値の崩壊はそれらの調達が難しくなることを意味する。軍事における中国や北朝鮮の脅威が話題に上り、確かにそれは否定できないが、しかし、私がこれらの国の指導者で日本を虜にしたいと思うならば、一兵も使う必要はない。ただ日本との貿易をストップさせる、もしくは日本よりも高い価値で外国から食料を買い、日本が手にする事が出来ないようにすれば、兵など使わなくともそれで事足りるのである。このような状況に陥ったとき、現在の日本人ならば我が身を守るために国家を分裂させることなど、いとも簡単に選択するであろう。どんな国家でも「与えて」くれるのなら、その有利な方を選択するかも知れないが、占領国がどのような待遇になるのかは、私たちは経験済であり、そして現在でもそれは経験中でもある。しかし私は日本を愛し、また自分たちの子孫のためにより良い日本へと成長させたいという願いがある以上、そのような状況に日本を陥れる選択だけは避けたい。そしてこのことは現在日本で生活する国民の、誰もが心の底で願うことではないだろうかと信じたい。ただ、そのためには、私たち自身で変化を受け入れ、現在よりも割り引いた生活を行わねばならないが、私たちが共に成長し、良心を発揮すれば、このような苦難はいとも簡単に乗り越えられるはずである。そして、変化を自ら受け入れるためにも、まず新たな基準を整え、それを私たち自身で制定する、つまりは憲法を改める、それこそが最良の選択であると考え私をこの稿を書いている。
とは言うものの、私たちに将来が見えない以上、変化をすんなりと受け入れる勇気はなかなか湧いてこない。苦境に立ち入っている人間ならばともかく、ある程度安定した生活を送っている人間には、変化とは現状を、自分の生活を破壊する恐怖が湧くはずである。一方で現在の日本の状況がわかっていれば、変化を受け入れることには賛成するが、それを現在自分が持つ力によって有利に引き寄せたいと思う人間もおり、彼らにとっては変化はただ自己を有利にするジャンプ台のようなものである。どの国家の歴史を見ても、変化を受け入れるには、苦境に立ち回復したい国民、安定を守り通そうとする国民、また変化を自分に有利な方へと引き寄せたい国民による争いは避けられないものになる。そしてその思惑と力加減から、歴史は常に全く違う答えを与えるのである。

2012年2月20日月曜日

国民の良心と政治意識の成長(9)


それが家族内において、また地域社会においてでも、そして国家という巨大な社会においてでも、現在の私たちは憲法によって十分な権利を与えられているが、私たちはそれを行使しているだろうか。もしくはそれを行使していたとしても、それが個人の望むものだけに限り、良心に準じて行使しているだろうか。それは例えば、国家の財政は、私たちが納める税からなる共有財産だが、それを自己の権勢のため、またはごく一部のもののために、さらには自己の生活を補うだけのために使用しているのではないだろうか。また私たちの代表者である議員は、候補者から選ぶだけではなく、私たち自身の中より候補者を出すことも出来るはずだが、そういったことに参加せず、ただ政党が出した候補者を選ぶだけで、自分たちの国家を、政治を、将来を、あきらめてはいないだろうか。そして私たちは自己のことだけを考え、他者のことを考えず、ただ決められた基準に従って、何事も行ない、その基準に対して何か疑問を呈したり、変えようとは思っていないのではないだろうか。もし、そう感じたならば、それは解放された権利を持つにもかかわらず、それを行使せず、かつての日本人のように、ただ与えられるがまま、成り行きに従っているに過ぎない。そしてそれは日本国憲法97条に記されている、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」を無にし、「侵すことの出来ない永久の権利として信託」されたものを拒絶しているに等しい。それは先に述べたように、日本が長きにわたって専制的な手法による政治がおこなわれ、なおかつ民主主義も「与えられた」ものに等しいことが原因であるかもしれないが、その与えられた基準ですらも、私たちのほとんどは理解していないと思う。なぜなら私たちは「自由」や「権利」、「国家」、「政治」、「平和」、などの言葉を、教科書や教師、メディアから与えられた情報を自分で考え、咀嚼したものにしているだろうか。おそらく誰もが、その与えられた情報をうなずくまま、考えないで多用しているとしか思えないし、そうでなければ、国家の沈滞はどこにでも起こりうるサイクルの一環ではあるが、ここまでひどい状態にはならないだろうと私は思う。
現在の日本の状況から新たに先に進むには、私たちの誰もが「与える」人として、また与えられた情報を「考える」人として、そして自己の欲求と良心と真摯に向き合った上で判断を下せる国民へと、私たちは変わらなければならない。それは現在の日本人の行動から考えると、非常に面倒くさいことかもしれないが、しかし私たちが主権者である以上、それを避けて通ることは許されず、避け続けた結果、現在の日本があることは既に述べた。ただ、国民が急激に変化することなどあり得ないし、国民が政治に参加するためには、現在以上の、何か求心的なものが必要であることも私は感じている。そしてその為に、私たちは、自身で新たに憲法を制定することが必要なのである。私たちは、その論議の場で、多くの多様的な考えにぶつかるであろう。多くの国民が全く違う立場で同じ目指すものについて論じるのである。そこには多くの正解があり、また間違いもあるに違いない。そしてその結果が将来に必ずしもいい影響を与えるとは限らない。しかし、私たちは与えられた憲法ではなく、日本の政治史上、初めて国民の手によって憲法を、新たな基準を制定できる機会をつかむのである。憲法は最高法規かもしれないが、法基準である以上、そこに恒久性はない。それゆえに、私たちが定める憲法に間違いが合ったとしても、将来の国民がまたそれを正せばよいのである。時代は変わり続けるし、それを拒絶することが出来ないのなら、そして私たちが将来に債務を負わせているのなら、将来の国民が私たちの定めた法基準を変えようとすることなど、何の罪もない行動である。累々と、負債を積み上げている現在の私たちこそが、罪人ではないだろうか。
そして憲法を国民で変える事は、民主主義国家の国民へとの目覚めに過ぎない。そこから先にわたって、私たちは政治について始終考え続けなければならない。自由や権利、平和や福祉などを何かの変化の度に考え、答えを出さなければならない以上、それは非常な労力でもある。しかし、それによって、私たちは理想的な国家を手にし、また理想的な国民へと進化することを私は信じる。そしてそれを願うがゆえに、この稿を書くのである。

2012年2月18日土曜日

国民の良心と政治意識の成長(8)


政治的な時間は無駄である、そう考える人も多いであろう。他者との意志疎通が自分の楽しみにしている時間を削れば、また自分に与えられた役割を妨げるのなら、他の3つの時間は自己の生存に必要と思えるが、政治的時間など必要ないと思えるかもしれない。それゆえに、他者との直接的な関係を避け、より広義の国家という共存体に援助を求め、それが国費を圧迫しているという現実がある。自分が困った時、まず何よりも自分の身の回りの人間と意志疎通を行ない、そこで理解を得、助けてもらうのが本道である。周りに理解者が、また助ける力のある人もいなければ、そこでさらに見知らぬ他者である、国家などの共存体に助けを求めるのならともかく、自己の事情を意志疎通によって訴えることを、その返答を恐れるため、もしくはただ単に自己の事情を知られたくなく、他者との繋がりをうっとうしく思うだけで、国家などに助力を請うのは、筋違いも甚だしく、それは自分一人で生きて行くための手段ではなく、自分勝手に生きる手段であるといっても過言ではないだろう。その反対に、助けを請う人に対して、よく意志疎通を行わないまま、それは甘えであるなどの判断を下し、遠ざけたり、疎外したりするのも、また自分勝手なものといえる。自分がもしも他の他者を必要とする時、彼らは他者を拒絶した自己の判断をどう思うのであろうか。健康であるうちは他者を必要とせずとも立てるかもしれないが、老、病、衰は人間の定めであり、避けることは出来ない。そしてそれを理解すれば、今自分で立てる人間でも、その時のために困った他者を拒絶することはないだろうし、他者との意志疎通を大切にするはずだ。
他者の気持ちをわかるという人がいるが、そんな人間などいない。私たちは他者の気持ちを推察するだけであり、他者の気持ちがわかるものは、その他者自身だけである。しかしそのわからない気持ちを表現するために言語が生まれ、それを使った意志疎通によってより推察はあたりやすくなったのである。そしてそのような関係によって集団は形成され、個人の生存が易くなったのならば、他者との意志の疎通は集団の関係における基礎であり、それが政治でもあるといえる。
では、このような意志の疎通は、ただ相手から「与えられるもの」だけなのかといえばそうではない。かつては身分や家父長制などによって、明確な法基準が無い代わりに、その集団の長たるものが基準であり、その意志によって集団が形作られたため、意志の疎通も一方的なものであった。しかしそのような与える者の一方的な意志は、その人間が善良なものならばともかく、自己のことしか考えない人間であれば、それは簡単に他者の抑圧へと転じる。それゆえに、歴史の流れの中で、それはだんだんと解放され、与える者の一方通行から、与える者と与える者同士の双方向によるものへとなった「はず」なのである。個人の尊重や、様々な権利の授与が法律で定められるようになったのは、限られた人間から「与えられる」だけの政治参加から、誰もが「与える」事の出来る機会を獲得した事である。ただ、これらの権利の獲得は、私たち自身が「与える者」にならなければ、その権利が無駄になるだけでなく、共存社会が機能しなくなる。
身分によって定められた「与える者」は、常に自己が与える者として認識することで、どのような理由であっても自己の意志を「与えられる者」に伝え、他者を使役することで共存社会を持続させていった。それが自己のことしか考えない命令であっても、与えられればそれが社会全体で実現される。その結果、共存社会が崩壊することもあるが、しかしその崩壊より新たな社会が芽生え、その繰り返しが歴史となる。このような関係が社会には常に存在する。それはなぜなら、無数の個人が社会を構成しているとしても、社会という集団になれば、それはひと括りに去れる。私たちの体は無数の細胞で構成されているが、それがからだとして一つの形成体になっていれば、そのからだの動く方向は一つしか選択できない。手は右に行くことを望み、足は左に行くことを望んでも、体として一つにまとまっている以上、体の行き先は各感覚から脳へと集められた情報を基に感情が決定する。社会もこれと同様に、その構成する私たちが様々なことを望んでも、その進む先は社会としてまとまっている以上、一つの提議に対して最終的には一つしか選択できないともいえる。ただ、体の進む先も決まった感覚のみで感情が決定すれば、それは間違った方向へ進むことになる。視覚だけでものを判断すれば欺かれることがあるように、私たちも全身の感覚から送られる情報を基に判断することで、様々な危険から逃れることが出来る。現代社会は、私たち一人一人が情報を送ることで、社会全体が危機に陥らないようにする機会があるのである。そして私たち自身の政治的参加がその機会になるのだが、私たちはどれぐらいそこに時間を費やしているだろうか。

2012年2月16日木曜日

国民の良心と政治意識の成長(7)


さて、敗戦によって私たちは旧来の政治体制は一気に変わったと学ぶ。しかし良く考えてみれば、現在に至るまで私たちは「与えられ」続けている。日本国憲法は確かに理想的な法ではあるが、しかしそれはアメリカの占領政策の一環であった事は、歴史的な史料も残る事実であるし、その当時の国民が憲法に対して国民としての大きな運動をおこなった事実はない。ごく一部の知識人達は、当然憲法の重大さを知るため、様々な意見書や起草案を提出したが、それがどれだけ現在の憲法に反映されただろうか。また、憲法公布前には、国民の信任を得るために選挙がおこなわれたが、食料不足の当時、明日を生きるのに必死な国民に、憲法についてどれだけ話題に上がったであろうか。そのように総合してみれば、やはり日本国憲法は「与えられたもの」であるといえる。
さらに現在の私たち国民が、「与えられたもの」になれきっているといいきれるのは、歴史から推察するだけでなく、現在の私たちの生活からも垣間見える。
少し唐突だが、私は人間がその行動時間を大別すれば四種類に分けられると考える。
一つは私生活の時間、これは自分の趣味や、楽しみ、また喜怒哀楽などの感情表現のための時間であり、もう一つは生命維持の時間、すなわち食べる、寝るなど、肉体を維持する事での生存の持続のための時間である。
残り二つの内、一つは価値獲得の時間である。これは経済的活動の時間といっても良い。私たちは共存する事で自己の生存を維持するが、その共存の手法は分業であり、各自が職分を果たし、それが他者のためになる仕事であって、初めて自らの価値を得られる。その価値は、現在は金銭としてまとめられているが、かつてはそれが衣食住やそれに準ずるものなどであり、それを獲得する事で自己の生存を維持できるのである。
そして最後に政治的時間がある。これは私たちが属する共存社会を持続させるために社会に参加する時間であるといってもよい。身近な家族や隣近所、また大きく国家などにおいて、自らが果たす役割を見つけ、それを行う事で、所属する共存社会がより持続し、またより良くなる。例えば、祭りに参加する事で、その共存社会の繁栄を祈り、かつ楽しみ、冠婚葬祭に協力する事で自らが繋がる他者との関係を再確認する、もちろん選挙の投票、町内会への参加など、政治的な行動いわれるもの全てがその時間に当てはまる。しかし、何よりも政治的な時間といえるのは、他者との意志疎通の時ではないだろうか。もちろんその意志疎通は一方通行ではない。それはどういうことかといえば、私たちは一人では生きて行けない以上、常に誰かの助けを必要としている。現代社会では、様々な技術やサービスシステムによって自分一人の力のみで生きて行けると思いがちだが、しかしその技術が、サービスが、誰によってなされているのかといえば、見知らぬ他者によってである。それゆえに私たちは一人で生きて行けるはずなど無いのである。大体私たち自身、父親と母親という他者によって生命を受け、成長するまでの間、様々な他者によって育てられているではないか。それを忘れ、自分一人の力で、何者も頼らずに生きて行くという心は、自分の才能を頼るという誇りよりは、他者を蔑視した傲慢な考えのほうが大きいと思う。私たちの望む権利や自由、平等といったものも、全て他者あってのものだが、私たちは今、どれだけその他者と、率先して関係を結び、意志疎通を行っているだろうか。現代日本、いや世界中で起こる問題は、この政治的時間、つまりは他者との意志疎通の時間がなおざりになってきたことに、原因を大きく求めることが出来る。

2012年2月14日火曜日

国民の良心と政治意識の成長(6)


なぜ、民主主義国家において、このような専制時代の国民意識が残っているのか。その理由は、私たち自身が民主主義を勝ち取ったものではなく、それもまた敗戦によって他国から与えられたものだからである。
政治史は常に勝者の歴史である。歴代の政権者達は、常に何らかの戦いを勝ち抜いてきたものであり、その勝者として、大王が、藤原氏が、源氏が、北条氏が、足利氏が、徳川氏が政治権力を握ったのは自明の理であり、明治時代において藩閥政府が政権を握るに至ったのも、彼らが徳川政権に対して勝利を収めたからである。ただ、この交代劇はそれまでの政権交代劇とは違い、身分を解放したという点では大きな前進であったと言えよう。現在、私たちが当たり前のように思っている自由や権利と比べてみれば、この明治維新における身分の解放は、様々な点でいまだ大きな制約があるように見えるが、しかし当時の言葉でいえば「御一新」というように、実に画期的な事であったと言える。ただ、このような身分解放が、当時のヨーロッパ社会や、現代の日本のような、完全なものたりえなかったのは、それを実行するにあたって、徳川将軍家より身分の高い天皇家を利用したものだったからともいえる。「上下心を一にして盛んに経綸を行うべし」、「官武一途庶民に至るまで各其の志を遂け人心をして倦まさらしめん事を要す」など、一読すればいかにも民主主義的な要素に満ちた文面だが、これは明治の夜明けに布告された「五箇条の御誓文」の条項である。この御誓文には、続いて「朕躬を以て衆に先んし、天地神明に誓い」とあるように、あくまでも明治天皇による誓いを万民に布告する、すなわち「与えられたもの」であった。ここに、維新政府にある政治思想の矛盾性があり、それは繰り返すように当時の事情を考えれば致し方の無い事であった。どんなに伊藤博文が、大久保利通が、坂本龍馬が、才気煥発で天性の魅力ある人間だったとしても、前時代においては政治に口出しの許されぬ一介の下級士族であった。その人間が、その才能だけで政権の交替を図れば、だれもついてくるものはおらず、大塩平八郎の乱のような結末に終わるであろう。しかし彼らは根気よく当時の為政者を動かし、そして将軍を越える地位にある天皇を動かす事で、最終的な勝利を収める事が出来た以上、その力を手放す訳には行かない。そしてここに、明治期における政治的な身分の解放と専制的な拘束性を持つ要素の2つが同居するようになったと言える。
明治期における政治的な身分の解放は、知の解放と平行するように、急速に庶民にも広まり、それは自由民権運動へと結実した。しかし守旧的な力によって政治権力を奪取した藩閥政府に、西洋思想によって解放された民衆の力は恐怖の対象でしかなかったため、それは懐柔と弾圧によって一時的なものとして治められるに至った。明治維新の政治的勝利者にとって、自由民権運動は、彼らの勝利に便乗し、その勝利をもぎ取ろうとする輩にしか見えなかったのだろう。ただ、その力の恐れが、懐柔策として議会の設置と憲法の制定を政府に約束させた事は、更なる一歩であったと言っても良い。もし、この約束がなければ、旧来の政治手法に退行していたかもしれない。ただし、議会の設置と憲法の制定を政府に約束させたという点においては、一歩しか進めなかったともいえ、やはり「与えられたもの」に代わりはなかったともいえる。
ここから先の敗戦に至る政治史も、常に政府は国民に「与える」という手法だけは守り通した。かつてより国民は政治的な意志を表明するようになり、知の解放と、知の紹介者であるメディアがそれを後押しした。しかし政府は、それをうまく利用して、国民に対し「与える」と言うスタンスは崩さず、不満や対立する思想については力によって弾圧した。普通選挙法などの民主主義的な施策も、それが「与えられた」ものに過ぎない以上、その他図名は常に政府が握っており、それが旧来の政治手法を色濃く残す原因となった。

2012年2月12日日曜日

国民の良心と政治意識の成長(5)


それは私たち日本国民が、民主主義国家の主権者であるにも関わらず、「与えられる」ことに慣れすぎた所に理由があると私は思う。本来、民主主義国家の国民ならば、国家の主権者である以上、国家という集団の事を考えたうえで自己の意志を述べ、またそれを他者と論じることは妨げられず、さらには自らの代表者たるべき人間をただ選択するだけでなく、候補者として推挙する事も可能なはずである。国家に属する人間が多い以上、その意思決定は原則的に少数者に任せる方法論が最も適当なのだが、しかしその少数者が専制者にならないように、主権者である事を意識して行動しなければならないはずなのだが、私たちはどれだけそれを意識しているだろうか。
また、私たちは与えられる事に慣れすぎ、社会福祉も、権利も、保障も、様々な娯楽も、習慣も、選挙の候補者から、基準である法まで、与えられる事が当たり前だと思ってはいないだろうか。例えば、近年行事として定着しつつある節分の恵方巻は、その由来に幾分かのいかがわしさや猥雑さがある事は、調べれば簡単にわかる事だが、誰もが与えられて情報で満足しているため、それを追及しようとしない。また社会福祉の原資となるものは私たちの税だが、その分配を決定する政府から与えられるものだと思い、私たち自身にそれを訴えるよりも、政府に訴え与えてもらう方法論をとろうとする。この方法は、自分たちの利益を考えるならば、最も効率的なものではあるが、それは専制時代の王に治められる国民の考え方に等しく、民主主義国家の国民がとるべき方法ではない。専制政治下の国民は、自分の安全や財産を保護してもらうために、身分や法という基準を守り、何かしら望む事があれば専制者に膝を屈して請願し、その判断によって与えられる事を望む。しかし民主主義国家の国民ならば、このように膝を屈せずとも、互いに情報を共有する事で国民に訴え、代表者を出して議会の場で訴えることが、正当な手順ではないだろうか。しかし、私たち日本国民は、それを行おうとせず、むしろそうした活動を、安定を乱す事として恐れている節がある。

2012年2月10日金曜日

国民の良心と政治意識の成長(4)


私たちは自己の生存を持続するために、他者と共存するより他に選択肢はない。そしてそのためには共通の基準という範囲は絶対に必要となるが、それは自己欲求の達成のためではない。というものの、欲求は私たちの天分であり、また生きるための原動力でもある以上、それ自体を否定する事は出来ず、私たちはそれを飼いならす為に基準が必要となるのである。
では、この基準は誰が定めるのか。それは常に代表者として選ばれた人間である。その代表者が力によってその座を得ようが、また民衆によって選ばれた者であろうが、その人間が共存社会を背負う資格を持ち、基準を定めるのである。その代表者が王や皇帝、また貴族など世襲によって自動的に継続し、その一握りの人間しか資格を持てない政治体制を、便宜上、「専制」と呼び、その社会の全ての人間が資格者になりえ、また選ぶ事のできる政治制度を「民主制」と呼ぶ。
では、この2つの政治制度の最も異なる点は何であろう。それは専制下において基準などの情報は常に、一方的に「与えられるもの」であり、民主制はそれが双方向、つまり「与える」「与えられる」関係であることである。結論を急げば、それ故に専制とは「知の独占」であり、民主制は「知の解放」である。この違いを私たちは軽視しがちだが、しかしこの事にたいして考えを深めれば、現在の日本における国民の政治意識が、なぜ問題たりえるのか、そしてそれが憂慮すべきものであるのかを知ることが出来る。
主権者という語がある。日本国憲法ではその主権者は国民であるが、この主権者とは、私は法などの基準の制定に「関わる」事ができる資格のある者と定義したい。なぜ「関わる」であって「決定」でないのか。それは私たち国民が主権者であっても、原則的には法基準の制定を「選択」する権限はないからである。ここで「原則」としたのは、もちろん住民投票、また国民投票などの方法によって、基準の制定を選択する事はできるが、しかしそれは通常使われず、私たちは自分たちが選びし代表者である議員にその制定を委託しているからである。専制政治において、その主権者はもちろん皇帝や王、そして貴族である。その国家における一切の決定権が皇帝に集中しようが、基準の制定権に貴族がかかわれる以上、彼らを主権者の範疇に入れる事は出来よう。ただ、専制政治下において国民は保護されるだけの存在であり、その代償として国家を支える力を供出するが、基準の制定などに関わる事は出来ない。よって彼ら国民は基準などの情報を、ただ「与えられる」だけの存在となる。
では民主政治においてはどうであろうか。私たちが守るべき基準も、議員がそれを選択した者であるならば、それは「与えられた」情報であるといえよう。しかし私たちはその議員を選ぶ事が出来、また議員に対して様々な意見や意志を述べたりする事を許され、さらには私たち同士が政治的な意見を述べる事を拒否することは出来ない。それ故にその情報の送受は専制政治と異なり、双方向であるといえ、私たちは「与えられる者」でありながら、「与える者」でもあるのである。専制政治においてはそうは行かない。専制政治において主権者以外の国民は、原則的に「与えられる者」でなければならず、それ故に国民が主権者に対して情報を自発的に与える事は出来ない。主権者が情報を求めれば、それに応じなければならないが、国民が自分の欲求や政治的意思を述べる事は不可能であり、それこそが専制政治の安定を脅かす行為であるとして処断されるであろう。だからこそ、専制政治においては国民の様々な自由を奪い、また行動を規制する基準が存在するのである。主得kん者に対して反抗的な意志を見せれば、それは本人の生存の持続すら認めない結果になるだろうし、戦前の日本において新聞、集会条例や、治安維持法など、主権者の安定のために、様々な規制の法律があった事は歴史を知るもの、皆知っての通りであろう。そしてそういった行為は、「知」を独占する者であるといってもよい。知を独占する事で、主権者は常に「与える」側として振る舞う事が出来、国民は知に触れる事が無いため、常に言うなりになるしかない。現在までの政治史と教育史を比較すれば、政治的解放と知の解放が平行している事に気付く。専制政治下において教育は常に主権者のものであったが、民主政治下において教育は国民固有の権利であり、それは平等に行使される。そして国民は教育によって平等に知に触れる事が出来、その結果様々な機会を得、そこで認められれば誰でも代表者になる事ができるのである。そしてそれこそが国家を多様的な発展と成長へと向かわせる動機となり、力となるのだが、現在の日本国民はそのせっかく得た力を放棄して逆の方向に、すなわち知の独占を許し、再び基準を定める人間を永続的なものにしようとしている。

2012年2月8日水曜日

国民の良心と政治意識の成長(3)

私は、現在の日本における社会不安の原因の多くは、私たち自身の良心の足り無さから来ている信頼関係の欠如に起因していると思う。私たちは皆その判断が異なるため、様々な基準を用いるが、しかし基準は基準でしかなく、それは運用する人間によって簡単に左右される。それ故に、基準はあくまでも私たちの行動や責任の範囲でしかなく、私たちは基準に繋がっているというよりも、私たち自身の感情によって繋がり、それが信頼となる。しかし現在の私たちは余りにも基準に依存しすぎ、それを人と人とのつながりの媒介にしようとするため、自己の感情を隠そうと、また押し殺そうとし、それが信頼を生み出せない原因となるのである。もし、それによって社会関係、共存関係が危機に陥っているのだとしたら、私たちは基準よりも良心の醸成をおこなう事が最優先なのかも知れず、特に人の上に立ち基準を行使する権限を持つものは、この事を良く自覚しなければならない。基準の行使とは、自己との同化、もしくは自己が良いとするものへの同意を求め、基準を強制する事ではない。もし、真向かいに立つ人間を自分から見て左の方向に進ませたいのなら、相手の事を考えて「右に進め」というだろう。しかし、それを相手の事を考えず、自分の進んでほしい方向だけを求め「左に進め」と言えば、相手は自分の望まぬ右へと進むはずだ。これに対して指示者が、自分の指示が悪いのではなく、相手が自分の意図を理解できなかったのが悪いとして基準を行使すれば、そこに不満や恨みが必ず生まれ、信頼関係は生じず、その蓄積は共存関係を壊す事になる。ゆえに、ここには行使者としての良心は存在しない。また自分の意図した方向へ進ませるために、やたら基準を事細かく当てはめ、相手を自分の思う通り、イメージと一部の狂いもなく動かそうとする人間もいるが、それもまた基準の行使というよりも、ただ良心の無い、自己欲求の実現だけを考えた行動であるといえよう。このような良心ではなく基準の堅持を自己実現の方法とする人間が社会に増える事で、ますます社会的な不満は高まり、信頼関係は失われ、それが不安を増す結果となっているのだが、このような方法をとる人間は、それを本当に理解しているのだろうか
特に経済が低迷期にあり先行きが不安な現在は、自己の身を守るため、基準を他者の疎外理由とすることを持さない人間が目立ってきている。簡単に人を切り捨てその関係を絶ち、また自己と合わない他者を共同体の一員だと思わず、自己に従わない人間を社会から除こうとすることが横行しているが、私たちは、基準の行使者がそのような行為をおこなっても、それを見とがめるもせず、それが自己の安定を確保するための手段であると信じ、さらには自身を守るため率先して同調する。そしてその決断の責任を良心の可否ではなく、基準から外れた者や、そのような基準そのものになすりつけようとする。「彼は法の対象者ではないから」また「法によってそう定められているから」という言葉で、自己の良心のあり方を清算できるとしている。しかし他者をかばえば、それは自己の評価を下げる原因となり、それによって疎外の対象者になるのなら、皆、口をつぐむのもわからなくはない。ただその結果が共同体を分化させ、自己の立つ基盤を脆弱にさせている事を気付けば、口を閉ざし続けて良いものだろうか。共同体の分化が技術やサービスによって補われる事で、個人のみによる生存の持続が可能であると思い違いをさせているが、それは自殺者数、生活保護受給者の増加、引きこもり、いじめ、孤独死など、あらゆる社会問題の遠因となっている。それが現在の日本の停滞に繋がっているのならば、それを見過ごしにしている私たち自身も、日本国憲法に照らし合わせれば、「不断の努力」を怠り「濫用」している、法の基準を守らぬものに等しい存在であるとされても、何も言い返せない。遠回りの説明になった観があるが、どのような状況で、どの基準を行使するか、それが私たち自身の判断であるのならば、基準は字句のみ恒久性を有しているだけであり、それを主導するのは私たちの意識なのである。そして私たちの意識が悪しき方を向けば、基準も同じ方向に向かって効力を発揮し、私たちが良心を発揮すれば、基準はそれに従って私たちを苦しめない。何度も記すが、この基準は字句を書き換えない限り、それ自体は全く変わらないのである。

2012年2月5日日曜日

士気の集い・天木直人先生・潮匡人先生特別討論会を傍聴して


昨日は、ついに念願の保革双方の論者による討論会を聞く事が出来た。まずはこの会を主催した「士気の集い」千田様、そしてスタッフの皆様に感謝を表したいです。
討論自体も「日米安保」と「9条」という論点を絞った内容なので、進行も滑らかであり、論者も話しやすかったのでは無いかと思う。また天木先生は外交官僚として、潮先生は元自衛官のジャーナリストとして共に現場を経験しているため、言葉に非常に重みがあった。
主張として天木先生は「自衛隊はあくまでも国内限定のものであり、米国の傀儡同然の現状で自衛隊を海外に派遣していることはおかしい」、また「正義は力、すなわち軍事力では無く、もっと他に求めねばならない。ゆえにアメリカの傘から脱すべきである」、「中国に対しては軍事的な力で構えるのでは無く、外交力によって相対すべきである」、私感でみたらこんな風だろうか。
対する潮先生は、「イラクや北朝鮮、イランなど世界秩序を考えれば認めざるべき国家に対して、集団的自衛権を行使する現状は当然の事である」、「憲法9条がある限り海外派遣されている自衛隊は、自分の身を守ること、正当防衛の行使を行うことも難しく、こうした現状を、自衛官の命を守るためには9条を変えるべきである」というような現実路線に身を置いた論調であった。特に潮氏が述べた、「アメリカか中国か、どちらかを選ばねばならないなら、アメリカを選ぶ。」という言は本当に至言であった。
常々思うのだが、単純に平和だけを論じるのならば、革新系の論調には正当性がある。ただ彼らは現在の平和がどのように成り立ち、日本がどのような国家なのか、食料、資源に到るまで日本が自給出来る国なのかということを全く見向きしようとしていない。それゆえ、理想論だけで終わってしまうのであり、結局内輪だけで寄り集まるしかないのでは無いだろうか。しかし天木先生は現実を踏まえながら理想論にスタンスを置いているため、傾聴すべきものがあった。革新系の人にとって見たら、あまり面白くなかったであろうと推測する。討論会として、純粋な「面白さ」を追求するならば、「憲法9条を世界遺産にすべき」などいっている人達が出て来て欲しいと思うが、絶対出てこないんだろうなー。ゆえに今回の討論会は非常に学べるものであり、有意義なものであった。
双方いくつか口が滑りすぎであったと思ってのは、まず天木先生、「自主防衛強化論者は、かならず核武装を求める」という言葉であり、私は自衛隊は国防軍として認めるべきであ吏、日本の安全保障を考えれば技術的な強化は必要である(しかも国産が望ましい)と思っているが、しかし侵略行為や核武装を認めないことを憲法で明記すべきであると思っている。これについては私の憲法私案、「時代は変わる」の6章に少し書いたので、興味がある人は読んで欲しい。
潮先生は「世界システムの動態」という本を引き合いに出し、「これからの覇権国は島国でなければならず、それは日本である」といっていたが、現在の日本の政治状況、また日本の自給力、そして一部国際社会の印象、つまり1つは敗戦国であるということと、日本の植民地統治の印象が払拭出来ない限り、日本が覇権国になることは無理であるし、私はそれを望まない。イギリスが島国であって覇権国であったのは、世界中に広大な植民地があったためであり、現在のイギリスにはその力は無いだろう。そして次の覇権国の誕生は、この国際秩序、つまり第2次大戦における戦勝国主導の秩序を変える力を持つ、もしくは変えてしまう国であり、それは新たな大戦が起こらない限り変えられないだろう(付記すれば、よほど優れた政治家が出て、5大国以外の国家を、もしくは国連において過半数以上の票を確実にまとめることが出来れば可能性はある)。それを平和的に変えるのならば、宇宙にその機会を求めるしかないが、それは長期的すぎるかも知れない。

討論会の後の懇親会で、潮先生にお尋ねしたのだが、やはりこうした保革の論者が集まる討論会は初めてとの事。そういった意味においても「士気の集い」は、一歩先に進んでいる。ぜひこれからもがんばって欲しいと思います。
私も、「新歩会」を立ち上げ、3月17日に相模大野駅において街頭活動を始めようと計画しています。とにかく自分が前に出て、少しでも憲法改正、新たな憲法制定を望む人を集め無ければと思っていますし、そうした人が増えれば、新歩会で「自由討論会」を行ない、学ぶ機会を増やしたいと思っています。イデオロギーや主義といったものは、所詮後付けの評価であり、各人によって全く異なります。民主主義はそうした違いに機会を与え、それを考えた上で多数決によって決定してゆくという最善の、そして効率的な制度です。
皆さん、もっと周りの人の良識を信じて下さい。自分と同じ事を語っている人達だけが国民だと思わないで下さい。同じ事の中にも様々なアプローチがあり、異なるスタンスもあるのです。日本という国家が良い方向へかじを切るためには、多くの意見を聞く事であり、出切るだけ不満者を少なくする努力が必要です。そうした意味においても討論会は必要であり、現在力を持つ人達、また持とうと志している人達は率先して参加して欲しいものです。

2012年2月2日木曜日

今週末、「士気の集い」にて憲法9条の討論会があります






私が「士気の集い」に参加した切っ掛けは、この討論会に参加したかったからです。
本当は、この討論会は、昨年の3月11日、つまりあの震災の日に行う予定でした。
あれから一年あまり経ちましたが、再び同じ企画を実現させた士気の集いの千田様には頭が上がりません。
当日、私は懇親会にも参加します。
9条の問題を真正面から捉えるためにも、また多くの意見を聞くことで自己の成長を促すためにも、皆様のご参加を心待ちにしています。

天木直人先生・潮匡人先生特別討論『日米同盟、憲法9条、あなたはどう考える?』

戦後60年以上、我が国は押し付けられた憲法の下、国軍を持たず、米国に国防の多くを委ね、経済的繁栄の道を邁進してきました。しかし、米国の影響力低下、膨張する中国、北朝鮮の核武装、中東情勢の混迷化等、世界情勢の変化の中で、我が国の安全保障政策は変化を余議なくされようとしています。そこで、今後の日本の行くべき道について、皆様に考えていただくため、同盟国米国との関係を今後どうするのか、我が国の自主武装に縛りをかけている憲法9条をどうするかについて、対極の意見を持つ二人の専門家に討論していただきます。

天木 直人(あまき なおと)先生「さらば、日米同盟!」
昭和22年、山口県生まれ。昭和44年、京都大学中退後、上級職として外務省入省。
内閣安全保障室審議官、在豪日本大使館公使等を経て、平成13年2月~平成15年8月、駐レバノン日本国特命全権大使。大使在任中、小泉政権の対イラク政策を批判する公電を送信し、外務省を解雇される。平成19年、参議院選挙に9条ネットより出馬。

潮 匡人(うしお まさと)先生「日米同盟を強化せよ!」
昭和35年、青森県生まれ。早稲田大学大学院等を経て、昭和58年、航空自衛隊入隊。
第304飛行隊付幹部、防衛庁航空幕僚監部法務課、防衛庁長官官房課等を経て3等空佐で退官。退官後は、安全保障問題の論考を多数発表。
現在、拓殖大学日本文化研究所客員教授。日米同盟を重視する安全保障問題の論客。

コーディネーター 福留 聖司(ふくとめ せいじ)
昭和51年、北海道生まれ。平成14年、神戸商船大学大学院卒業。海事コンサルタント。 

【日 時】平成24年2月4日(土)14時~16時30分(開場:13時30分)
第1部 基調講演会 14:00~14:30 天木直人先生講演 14:30~15:00 潮匡人先生講演 

第2部 討論会  15:10~16:20 天木先生VS潮先生 +コーディネイター福留
【会 場】文京区民センター2F 2-A会議室
東京都文京区本郷 4-15-14 Tel:03-3814-6731
    交通:東京メトロ丸の内線・南北線「後楽園駅」都営三田線・大江戸線徒歩1分
【参加費】 第1部・第2部、各部それぞれ1000円
第1部・第2部の両部を事前申込の方に限り1500円
     (事前申込の女性・学生は両部の事前申込で1000円、高校生以下無料)
★当日は混雑が予想される為 事前申込の無い方の入場は講演5分前とさせて頂きます【懇親会】 17時~19時
       参加費:事前申込4000円 (事前申込の女性・学生3500円)
           当日申込4500円 (当日申込の女性・学生4000円)
2月3日23時までにメールまたはFAXにて(当日受付も可)(懇親会は2月2日23時迄)
★混雑が予想される為 事前申込の無い方の入場は講演10分前とさせて頂きます★
【主 催】  士気の集い・青年部 千田宛て http://blog.goo.ne.jp/morale_meeting
       TEL 090-3450-1951(電話での事前申込はお断りしています)
       FAX 03-5682-0018 E-mail:morale_meeting@yahoo.co.jp
【次回講演会予定】
02月18日(土) 14時~ 陸海空3将シンポジウム『日本の安全保障2012』
03月03日(土) 14時~第5回 自衛隊入門講座 航空自衛隊編『我が国の防空ミサイル』
03月10日(土) 14時~前田有一先生・古谷経衡先生特別企画(予定)