2012年1月8日日曜日


続き
変化とは、ある日突然訪れるものではない。変化には、時の進行という逆らえない流れと、私たち自身や自然が行為によって起すものの二通りある。私たちにとって時とは何か、それは難しい問題だが、例えば人間の老化を何らかの方法で止めたとしても、また地球の自転が止り四季が移り変わらなくなったとしても、時だけは止まることなく進み続ける。しかし、そのようなことが起こりえることはまず無く、全てのものが時に従って進み続け、変化し続け、それを私たちが止めることは出来ない。また人間や自然の行為が起す変化も、私たち自身の身体能力ではその全てを認識することは不可能であ利、自分が得た情報以上の変化を知ることは出来ない。私たちは、自身で関知できる変化には何らかの反応を見せるが、社会や国家という広い範囲における変化は、そこに属する人間の変化が集積と、さらにそこに事件や報道などの何らかのきっかけが加わらなければ、それに気付くことはない。しかし、一度それに気付かされれば、それは「時代が変わった」という共感となる。
このような時代の変化に対して、私たちは直接関わってはいないというかも知れない。だが例えば、江戸時代から明治時代への大変革は、歴史を動かした当事者だけでなく、多くの無数の民衆もその変化には十分寄与している。そしてその行動や結果は歴史史料にも十分残されているが、ただ、私たちは歴史を知るために、最も簡易な方法、つまり変化の急所を追うため、それに触れないだけであり、歴史を知れば知るほど、一つの出来事から、無数の広がりを伺い知ることは出来るのである。しかし、この簡易な方法で歴史を知ろうとしているため、私たちは舞台での演技者だけしか知らず、その裏方や、また客達のことを知らないだけなのである。そしてそれがゆえに、私たちは自分で歴史を変える力はない、もしくは才能ある偉人達しかその力を持っていないとするが、それは大きな間違いであり、かつてより、どんなに強力な身分制度が存在しても、また恐怖による王の支配があっても、私たち自身は常に変化を求めて自ら行動し、それを得てきたではないか。そういった意味では民主主義という言葉は、現在では政治制度の言葉となっているが、実はどの時代の変化も多くの民衆の同意によって行われる以上、常に民主主義であったとも言えるのである。そして私は、私たち自身が時代を変える力を持っていることを再び認識してもらうために、先人と同じように筆を執ることにしたのである
日本は敗戦より経済大国として復興したが、それは絶頂を迎え現在は衰退の途にある事は、誰もが感じているはずだ。その分岐点となったバブル経済の崩壊は、一つの時代の変化であるが、しかしその時よりも現在の方が大きな危機感を私たちは抱いており、それはより大きく変化する時代の前兆であるとも言える。なぜなら、バブルの崩壊から現在に至るまでの間は、まだ日本には余力があり、経済史的には「失われた10年」と言われているが、この10年の間で目立った生活の変化はない。世代によっては、バブル経済時代に利用した様々なサービスが受けられないため、生活が変化したと思うだろうが、途上国などから見れば、私たちの豊かさなど全く変わっていないように見えるだろう。この余力とは、日本という国家の信用と印象が大きく締めているが、現在それは地に落ちようとしている。もし、ここに衝撃が加われば、私たちはそれに耐えられるだけの力があるだろうか。それゆえに私たちは、来たるべき危機から身を守り、早く時代が変わり、その危機が去ってもらいたいと願うが、しかし時代の変化に私たちが関わっているのなら、誰もが自己の身の安全を考えているだけでは、時代は現在よりも悪い方向へ変化し、私たちの持つ不満も解消されない。もし、これからの時代が良き方向になるよう願うのならば、それは願うだけでなく、私たち自身の知恵と力と、そして勇気によって、変化を自らの手でおこない、それを引き寄せなければならない。
「昔は良かった」だの、「あの時代はこうではなかった」と、ぼやく事は簡単である。しかし「昔」を知り「あの時代」を知る者は、その変化を経験しているのであり、その変化に対して積極的でなかったがゆえに、不満がぼやきとなって現れるのである。ただ、現在はかつてと違い、一部の人間が国家の運命を担うのではなく、私たち自身で国家の将来を選択できる民主主義の世の中である。国民は主権者であり、そして政治に参加する事は義務であり、表現や言論の自由、様々な権利は憲法で保障されている。それは変化に対して私たちが様々な方策を立て、将来を切り開いて行く事が出来、またおこなわなければならない事を示している。私たちが生きそして常に変化して行く以上、時代は変わる。そこから逃れる術はない。しかしその変化に私たちが積極的に関われば、「時代は変わる」のではなく「変えられる」のである。そして現在私たちは変化をおこなうべく模索し、それが昨今の政権交替などに表れているが、なかなか思うように結果が出ない。私はそれを考察し、その原因は日本人自身の政治的意識と、古くなった基準にあるという結論に達した。それをこの原稿に書き著し、この後の大きな変化を私たち自身、日本国民の手で執り行い、現在、また将来のためにも道を切り開かねばならないことを訴えたい。

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