2012年1月13日金曜日

安定という不確かなものの依存からの脱却(3)


何かへの依存によって「安定」を確保する関係は、周囲を惹きつける求心力が要になる。わかりやすいたとえでいえば、太陽と地球の関係がまさにそうであり、太陽という巨大な求心力によって地球や他の惑星は安定的に運行している。ここからわかることは、安定的な関係を維持するための求心点は、常に一つだけであり、それがゆえに、人間においてこのような関係を築くには、常に専制者、もしくは専制的な制度を必要とすることは否めず、そしてこれこそが、「安定」が不安定になりうる答えの核心である。
「安定」の要となる専制的な力を持続させる者、いわゆるワンマン社長などは、人を引きつけ求心力になりうるだけの能力が優れていることは認める。しかしその地位にのし上がり持続できたのは、その持つ才能だけではなく、周囲の助力がある事を理解していたからのはずである。もし、自身の能力だけで勝ち上がれたと思っているならば、その勝利は短期で終わるだろうし、それは現在の日本における若手実業家に顕著に見られる、とだけ言えば理解して頂けると思う。長期的に専制権を持てた企業の社長は、よくも悪くも人の価値を知っている。つまり自分の能力や持つ力だけでなく、数において自分の賛同者が多ければ、それだけ自己の優位性は持続でき、自己の欲求の実現を達成できることを知っているのである。欲求の実現の途上はその達成のために力を使い、そして一度頂点に達すればその持続を計るために力を使用するだろう。その持続を求める欲こそ「安定」である。イエスマンの存在は、この欲求を実現するための数としての人の力に過ぎない。頂点を極め、求心力として君臨する優秀な専制者達は、周囲の変化を見過ごしにはしない。しかし変化が起っているからこそ、現在を失うことを恐れ自己の安定を図り、またその変化を過少し、力によって押し切れると思うため、そこにもつ力を集中する。しかし変化が常に起こる以上、そこに終わりはない。ゆえに変化に気付く周囲の人間は、力を求心力の安定、確保のためだけに使うことをいさめるが、自身の能力で変化を押し切る事が出来れば、その忠告者を自身の反対者として追放するのである。そうなれば当然残るのはイエスマン達ばかりであり、それゆえに専制者には数の力は確保できるためその地位を持続できるが、周囲の変化は止められない以上、それは波に漂う豪華客船であり、その客船が海に沈めば、残された人間は懸命にたどり着くところまで泳ぎきるか、もしくは一緒に沈むしかない。イエスマン達にしてみれば、求心者に依存することこそ、自己の安定の確保であったため、ワンマン社長がどのような要求をしようとも、自己の安定が脅かされなければ、それを受け入れ求心者の持続に懸命になるが、その求心者がいなくなれば依存の対象がいなくなるため、自己の欲求の達成の方法が失われる。彼らはそこで初めて変化の波に直接晒されるのだが、そこで泳ぐ能力があればよいが、なければ、新たに依存するものが見つからない限り沈むしかない。ワンマン社長の二代目が、往々にして滅び去るのは、自分自身の力で変化の波を泳ぎきることを知らなかったからであるといってもよい。そしてまた、イエスマン達が強力な統治機構、つまり派閥などを生み出すのも、自分が依存する対象を確保するためでもある。彼らにしてみれば、求心力の確保こそが自己の安定であると信じているため、求心者が持っていた力をそのまま受け継ぐ人間を探し出す。そこに世襲の妙があるわけだが、しかしそのような求心者、もしくはそれを生み出す派閥の質が時代を経る事に低下するのは、その派閥の長が自分の力によって派閥を形成したからではなく、力を受け継ぐだけの能力しか持っていないからだとも言える。それゆえに、実は変化という荒波をその人間が乗り越えられるかどうかはわからず、豪華客船も老朽化すれば、荒波でなくとも沈むように、力の継続のみでは変化に耐えきることは出来ないのである。これがどうしてか、ということについては、さらに思考を深くせねばまとめ上げられないし、それがこの稿の主題ではないので今は省くとする。
先にも述べたように、「安定」に根ざした関係は、自己存続を実行している強力な磁力を持つ者とその依存者によって行われるが、これは私たちの家族、社会の関係全てに見出すことは出来、それが昨今の日本の停滞の要因であると私は考える。現行の政治制度や法体系、また政治家の系譜も全て過去から受け継いできたものであり、私たち自身が築きあげたものとは言い難い。そういった意味では、私たちはイエスマンでしかないとも言えず、私たちは過去から受け継いできたものに対して何の疑問も抱かず、ただありのままに、流されるままに受け取っているのなら、それを否定することは難しい。増え続ける国債、それらの動機となる権利、そして補助金、補償金を生み出した政治制度や法にたいし、私たちはどのような疑問を持ち、行動し、そしてそれらについてどれだけよく知っているだろうか。そしてこれらにたいしての考えを私たち自身によって改めない限り、もし財政破錠すれば私たちは共に沈み、生活は急激に悪化するであろう。その時は現在守り続けている「安定」など、何の役にも立たないのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿