2012年5月29日火曜日

国家とは何か・情報共有体(10)


 そして、このような点と点の関係、つまり人間同士の関係までも法に依存するようになれば、それは次第に法を扱うものが、また法に対する知識のあるものが、社会において上位を占めてくるようになる事も忘れてはならない。情報とはそれを教えたり、発信するものが必然的に上位に立つことになる。それは親から子へ、教師から生徒へ、上司から部下へ、皆同じ流れである。そのような情報の共有関係が法に依るものになれば、法情報を熟知し、また法情報の決定権のあるものが尊重されるのは当然である。本来政治家は、人と人との関係から発せられる問題を個人の力によって調整するからこそ、万人から尊崇を受けるものであり、そのためには当然、人間的な力を要求される。しかし現在のような法に依存する社会においては、法の解釈を曲げる、もしくは法に対し例外を設けたり、細かい問題に対して安易に法を制定したりすることによって自らの力を誇示しようとする。選挙を見てもわかるように、現在の国民が政治家に必要とするのは、人としての力ではなく法を制定する権力そのものだけであろう。それがゆえに選挙において落選した政治家は人として、また文筆などによっての政治活動によって自らの主張を知ってもらおうとするよりも、息を殺して再起を待つのである。選挙を見ても、その結果が選挙区民との繋がりと言うよりも、党勢や時勢と言ったものによって左右されやすく、それが政治家の権威を著しくおとしめている。法を定める力、関わる力がありさえすれば誰でも政治家になれる世の中なのだ。国民が意識を変えない限り、この現状は続くであろう。
 法が国家の外殻であり、その外郭を政治家が定めるのはどの政治形態でも同じ原則である。それはなぜか、それはどんな問題でも選択できる答えは一つだけだからである。一つにまとめられた力の方向性は、一つにしか定められない。私たちの体も、体が向く方向にしか進めないのと同じである。もちろんそれに参加する機会は、全ての国民にあり、またそれに至るまでの討議や答えの中に、多様性に対してできる限りの配慮をおこなう事はできるが、選ばれるのは一つでしかない。それゆえに法の制定や国家の運営は、国民全体が関わらず常に代表者によっておこなってきた。しかし、専制政治と民主政治では全く違う。それは政治への国民の関わり方であって、民主政治では、問題を解決するために多くの情報を国民に流し、考え、知る事で、政治家の意志を揺り動かす事ができる。専制政治においても政治家の意志を揺り動かす事はできたが、しかしそれは国民が圧制などによって感情に耐え難いものを持ち、政治家が持つ直接的な力、すなわち軍などの武力と同等の力を見せつけた時だけである。しかし民主政治では、私たちが言論などによって平和的に政治家を動かす力を持っている。つまり、国家の外殻である法に対して私たちが疑問に思えば、私たちが情報を共有し政治家に訴える事で法に関わる事ができるのである。しかし、その揺り動かしはあくまでも公のためのもの、見えない他者の事を考えてのものであり、個人の境遇のみのものであってはならない。現在の日本においてその境目を意識しているものが果たしてどれだけいるであろうか。それは、日本国憲法と言う国家の基準が不明確になっているからとも言え、それゆえに私は私たち自身の社会にあった憲法を定めねばならず、そしてそれは恒久的なものではなく、時代によって変えられるという意識を常に持ったものでなければならない事を訴えたい。
 国家が人の集団である以上、どんな政治形態でも正しさは求められるし、間違った答えも出る。では、最良の国家とは何か問われたら、私は人と人との有機的な繋がりをどれだけ実現できているかと言う事だろう。どんなに良法があっても、法が強制力を持つものである限り、それが多ければそこに住む人間を拘束するものでしかなくなる。しかし法無き世界は国家として、共通の情報を持たず常に分裂するだけであろう。最良なのはそこに住む住人が国民として互いに意識しあい、また、その最低限のルールと人の繋がりによって解決できないものを法として制定する事であろう。そして、そこに住むものが法について情報を共有でき、また意志、意見を述べれる民主主義が最良の政治形態だと言うことを私は強く述べたいのである。

2012年5月25日金曜日

国家とは何か・情報共有体(9)


 人は一人で生きられない、それは誰もが知る事実である。しかし人との関係において対話など直接的なやり取りを遠ざけ、線としての繋がりを避ければ面にはなれない。このような点としてわが身を守る人間は、何を頼りとするのか。その答えが、法とそれに伴う権利になりつつある。外見がしっかりとした家ならば、中がどうあっても生涯安泰という論理なのであろうか。法は集団として個人に対し、決められた事を守るよう強制できる。つまり法を使えば、時には個人を守る枠となり、また時には個人と他者とを強制的につなぐ線となるため、交際などによって他者を知り、関係を築き合う手間が省けるのである。それゆえに点である個人は、自らを守るため盛んに法と言う線を使い、自己都合によって無理やり他者と繋がりあおうとする現象が増えつつある。
 社会福祉によって援助、または補助される理由の中には、個人が引き起こした結果が原因によるものも多いであろう。しかし本来、人の人生は自らの選択であり、その成功や失敗は自らが背負う事が第一義となる。それゆえに成功すれば成功者自身を称賛し持ち上げ、本質的には周囲や社会にその個人の成功は直接還元されない。しかし失敗した場合、現在では本人よりも社会などが原因であるとする論法が実に横行している。もちろん全ての失敗や不運がその人の責任であるとは思わないが、その失敗に対して評価をし援助を行うのは、社会よりもまずその者の周囲の人間ではなかろうか。それは辛口の、つらい評価もおこなわれるが、その後の行動などによって理解されることで、周囲は決して見捨てはしないだろうし、本来なら、人間は間違いを冒す者であり、正しく生きてきた自身を持つ者がいないならば、親兄弟、親族は助けるべきではなかろうか。それなのに点として生き、直接的な関係を希薄にすれば、周囲から人は去り、理解される事は少なくなる。忠告者もいなくなるが、助けてくれる人もまたいなくなるのである。本来なら、そのような選択を行うものは、救う必要はない。しかしながら、現代においてはそのような人間に限って法を頼り、その保護や回復を広義に求めるのである。社会保障が充実され、それを頼れば自分の近隣者を必要とせず、その失敗や不幸を明かす事なく、隠しながら生活を営める。しかし、その費用は私たちが納めた税なのであり、言い換えれば法の力を使用して多くの名も無き人間と繋がりあう事を強制し、自らの生活をおこなうといっても良い。社会保障費は政府に決定権があるため政府が生み出すと思っているかもしれないが、原則的に政府が生み出すお金はない。皆、私たちが納めた「税」なのである。現在、高校無償化などを代表するように様々な権利の拡充が求められているが、その権利を支えるのは国民自身である事を本当に理解しているのであろうか。権利の拡充によって、ある点、ある個人は回復するであろうが、しかしその負担が別の点に回る事を、訴えている人は本当に考えているのだろうか。人同士の直接的な繋がりが希薄な現在、このような間接的な繋がりの拡充が政治争点となる事が多いが、国家が有機的な点の繋がりでなければならないのなら、法による無償の権利の拡充や補助金と言った事に対してはより慎重にならねばならず、国家の中でも基盤的な繋がり、つまり親子や親族、地域社会を私たち自身が気づきあげることが先決であろう。しかしこのような事ですら消費社会などを代表する経済論と道徳的社会論を盾とした善悪2元的に割り切ろうとする答えしか求められないから感情的な争いになるのであり、それに法で定められた基準が争点となるから求めるものとの綱引きとなり、また法による基準も「例外」、「特例」などが増え、曖昧になるのである。これが政治の混乱と言わずして何を混乱と言おうか。

2012年5月23日水曜日

国家とは何か・情報共有体(8)


 もちろん現実における政治的問題はこの設問ほど割り切れるものではなく、さらに複雑な問題の狭間で経済のかじ取りをしているのだが、私たちが食料自給率や国の借金に対して不安しか見出せないのは、問題が場当たり的に、また単純にしか考えられず実像がつかめない事と、また既に私たち自身が、実はそれほど経済大国ではないと自覚しており、何も生み出せない小さな島国として自信を失っているからかもしれない。もし本当に経済大国なら、なぜ私たちは残業までして働かねばならないのか、それにしては給与が少ないのか、などの答えについて政治家やコメンテーターからは聞いたことはない。真の経済大国ならば、古代ギリシアのアテネ同様、時間も買え、奴隷を雇い、自由民は政治、哲学、学術にふけるか身体を鍛えているに違いない。しかし日本に一時と言えども、そのような時期があったであろうか。バブル期において私たちはだいぶ消費にいそしみ弛緩してきたが、それでも随分働いていた。絵画や建築物に億単位の額をつぎ込んだが、それは自らが生み出した物では無く、他者の遺物を買ったにすぎない。つまり、接待やタクシーチケットなど、生産からの延長、または余剰を楽しむ事はできたかもしれないが、本当の意味における余暇や安楽があった訳ではないのである。バブル経済は、常にこまめに働き続けて来た結果と、通貨価値の上昇などがシンクロしておきた現象であり、それが経済大国の実像だったのではないだろうか。私はバブル経済期にはまだ学生であり、現在30代であるが、職への不安などは別として、あのころと生活水準がそれほど変わったとは正直思えない。むしろ感覚では経済が低迷中のはずの現在の方が物は手に入りやすく、また余暇も多いような気がする。残業規制などで多くの会社員が不平を漏らすが、本質論で言えば残業代などは実収入と考えてはならず、臨時収入としなければならない。自分の時間を削って残業代を得、不況になり仕事を削られ自分の時間が増えてくればそれに対して不満に思う事は、他の国家から見れば奇異に映るであろう。それだけ私たち日本人はワーカホリック(仕事中毒)なのかも知れず、余暇は余暇ではなく本当は自分の時間なのであり、自分の時間こそが自分の人生であると考えられない人が多いのかもしれない。違う視点から見れば、私たちはゲームにはまる子供たちと同じであり、難関をクリアし共有する喜びは知っているものの、現実的な生活における周囲の人間を簡単に無視しているともいえる。そしてそれは、最も社会を支えねばならない中高年の人間に多い。その理由もまた、給料をもらい水準の高い生活を満たしたいだけという個人的な欲求が根底にあるのは、ゲームにはまる人間と同じだ。だからこそ、高い給料を得てもさらに高い給料を求め、もしくは現状を維持するために、家族や社会を振り向こうとしない。情報とは何度も繰り返し伝え、共有しあう事で深く理解しあえる。親子関係とはまさに基本的な情報の伝達、共有関係にあるのだが、しかし現在の親子関係においてそれは間接的であり、親はその仲介に必要な資金をせっせと集めるが、直接的な関係は放棄する。それは親として自分自身の才能を信じないせいなのか、それとも単に効率的なのかいろいろ答えはある。しかし親と子の直接的な線が細ければその関係は切れやすい糸のようなものであり、それが社会問題、あるいは国家などの共同体における関係性の弱さに繋がる本質的な原因になっていると私は思う。そしてこれは親や子の関係だけではない。労使や地域社会、全ての国家内における人と人との直接的な関係が希薄になり、国民は点としての存在を守ろうと強調し、面としての力を失っているのである。消費社会や道徳的価値観に対する論議、つまり国家の問題の解決は、ここからスタートしなければならない。

2012年5月21日月曜日

国家とは何か・情報共有体(7)


 人間は多くの情報を生み出し、それを基に「新歩」していった。第2次大戦以降、多くの国が民主主義に移行をしてからというものの、局地的な争いはあっても国家間の潰し合いは原則的に回避される傾向にある。これまでの間、私たちの恐れる核兵器の応酬もないし、私が思うに、民主主義国家が世界の大勢を占めている間は巨大な戦争が起ることには懐疑的である。なぜなら民主主義国家における国民の要望は、家の外観よりも住みやすさを重視することであり、また民主主義における自由の拡大は、上から下へという単純な点と線による力の構造から、点と点が制限ない情報で複雑に繋がりあう構造によって多くの牽制を生み出すからである。ただ、現在の日本を含め、多くの国家がこのような牽制状態の中で、国民が窮屈な思いをしている事は指摘しておかねばならない。人口増という環境が土台となり、そして意志の自由は情報の多様的にさせ、個人の数と比例して増加し、人同士の行動を牽制しあうからである。その多様化の中でも、経済に重きを成す消費社会と「もったいない」などに代表される道徳的社会観は二極化して大きな影響を及ぼし、社会問題化している。
 私たちは皆、何かを生産し、分業をおこなう事で日々の糧を得ている。消費があるからこそ生産の余地があるのだが、その視点からみれば、「もったいない」や「リサイクル」は、生産、分業行為を否定しているとも考えられる。もちろんこの考え方は一面的であり、決して正しいものではないが、このような別の角度から見た情報をたびたび否定することで情報に派閥を生み出し、それが消費社会と道徳的社会観に現れている。物事の決定が一つしか出せないのなら、どちらかを選ばねばならないが、すべての答えをその一方に与える必要はない。事実を直視し、柔軟に対応しなければ、経済大国であった日本の方向性を考え直す事はできないし社会問題も解決し得ない。多くの多様的な考えを調整するのが政治なのである。
 そして現在は多様的な視点から問題を見ることができるため、問題が複合的に絡み合うことを見つけることができる。例えば、日本で廃棄される電化製品をリサイクルして途上国に流す。それによって日本製品を宣伝できるが、それが新規顧客の開拓に結びつくと言う単純な結論は信じがたい。なぜなら日本もそうであったが、国民が豊かであるからこそ持続的に消費財を受け入れられるのである。確かに安いものを購入し物が増えれば、一時的ながら国民の生活が発展する、しかし持続できない限り、途上国の国民の生活向上が需要増に結びつくとは考えられない。途上国が貿易などによって経済力をつけ、通貨価値を上げる事で初めて国民の生活は豊かになり、持続して他国の製品も買えるようになる。ただ、途上国の台頭、そして向上は日本に困った事実を突きつける事になる。まず一つは、日本も通ってきた道であるように、製品を模倣し、そこから進展することを自国内でおこなえるようになれば、外国製品は必要なくなる。そのことは技術と加工が売りの日本にとって影響は小さくない。それを防ぐために日本企業は現地と同化を図るが、現地生産に乗り出せば世界の工場としての日本の立場は薄くなる、これが2つ目。私はこの点は現在の日本の労働市場の問題に大きな懸念を及ぼしていると推測しているが、どうであろうか。3つ目は現在、途上国ほど資源産出国であるのだが、途上国の価値が上がれば日本はどのようにして原料を手に入れるのだろうか。原材料の上昇は目立った資源無き日本にとって大きな痛手ではないだろうか。現在のレアメタル問題などが、まさにそれであろう。そして4つ目が、外貨を獲得できない、また日本の経済価値が落ちれば、私たちはどこから食料やその材料となる肥料、飼料を手に入れれば良いのだろうか。

2012年5月19日土曜日

国家とは何か・情報共有体(6)


 ただし、外観は外見でしかなく、国家の全てを表している訳ではない。私たちが住む家には様々なものがあるが、外観は豪勢であっても中が化け物屋敷のように寂れ、取り散らかっているものもあれば、茶室のように小さいながらも品があり、整然としている建築物もある。法はあくまでも家の外観であり、その中身がどのようになるかは結局住人次第なのだ。宮殿のように外観も中身も豪勢で整ったところもあれば、一見わびた茶室でも物置のように取り散らかって入ればそれはただの小屋となる。国家も同様であり、その国家における法を知れば、国民行動の限界を知ることができるため、その枠組みはうかがい知ることはできよう。しかしその法の中で過ごしやすく整える事は住人次第であり、どんなに良法でもそれを扱う住人の性質が低ければ国家は荒れ果てるだろうし、どんなに住人の性質が良くても悪法が枠組みとなれば窮屈な思いをし、偏狭な生活によって次第にその性質も悪くなるであろう。
  このように国家とは家そのものでありその骨格や枠組みは法であると言えるが、その中での暮らしやすさは住人次第であり、人同士による情報の繋がりが国家にとって重要なのだ。どんなに立派な肩書きや資産を持つ家族でも、その仲が険悪であれば暮らしやすい生活はおくれない。政治とは住人同士の繋がりを調整する事であり、政治家はその調整者なのである。各国民が一つ一つの点であるとするなら、情報は点を繋ぐ線である。法はその線を囲い、また基準となるべき情報だが、生活における人間関係の中で法が情報の繋がりの中心となる事はまずあり得ず、私たちの関係は法以外の、日常生活における情報の反復によって成り立っているのである。人と人とを繋ぐ情報が電線のようなものであれば、法はそのケーブルを包むコーティングでしかない。そういう点から述べても法はあくまでも枠にすぎず、国家とは人同士が繋がりあう「面」の部分が本質であると言えよう。700万年に渡る人類史をみれば、法治国家が成立したのはそんなに古いことではなく、それ以前は人同士の情報、または欲求の繋がりによる集団が国家であった。もちろん、統治者達は法のような拘束力のある情報によって枠線を引いてはいたが、それは人間の持つ感情の力の前にはいとも簡単に破られていったのであり、治めるものが自己都合でその情報を勝手に変える事もあれば、治められるものが耐えきれずに情報を無視する事もある。またなんの情報を共有していない他集団が、その欲求によって平然と侵害する事もあった。定められた情報を打ち破る力による争奪が長い間人類を支配し、その力を抑えられるのが誰も証明できない超越した力、天変地異や死後の世界、自然や霊魂、そして愛など、すべてを包み込む神という情報、そしてそれを整理した宗教によるものであった。わからないものに力は行使できない。しかしわからないものに「神」と名付ければ、それはすべてを抱擁した大きな力になるのである。それゆえに宗教の力は国家を超え、時には法をも超越し人界を支配できたのである。しかし、それも情報であるがゆえに、わからなかったものが明かされる、もしくは論理的な説明のつく情報になれば、神の領域は目減りしてくる。それが現代の「神」の状況につながるのかもしれない。政治においても、もはや神の力は使われず、法の力へと変化していったではないか。

2012年5月16日水曜日

国家とは何か・情報共有体(5)


 私たちが、現在最も認識できる共有体として大きなものは、国家であることを述べてきた。地球と言う星を意識するには他に生命体がいる惑星、つまり比較対象が必要であり、またもしその様な惑星が見つかって人類にとって驚異となれば、もしかしたら国境がなくなり地球が一つの国家になるかもしれないが、それまでの間、地球が一つになる事は難しいだろう。そして大きな理想を持ち、それを叶えたいのなら、まず周りの共有体の足元を固めねばならず、その土台があってこそより大きな願いを叶えることができるのである。
 さて、国家とは私たち個人による無数の、大きな情報のつながりであることは述べた。また、比較対象が存在すれば単純な印象によって国家を認識出来るが、それは実像ではないことも述べた。しかし、国家の実像を見ようとすれば、その輪郭は一つの情報によって太く描かれている事に気付く。それが「法」である。国民は法によって定められた範囲内の人間であり、法による加護を受け、義務を負わねばならない。現在ある多くの国家は、この法によって治められる形式、すなわち「法治国家」であり、全ての国家、国民は、その規定された法の内容を簡単に越える事もできないし、破る事もできない。つまり国家は法と言う情報が基準となり、枠となっていると言う事ができる。それゆえに政治において魔物のように扱われる「権力」とは何かを探れば、それは法を制定したり、改変したりできる力であると言える。皇帝、君主など専制者が国家を治めていた時代、国家のアウトラインであり基準である法は、全て国を治める専制者、またそれを助ける、もしくは代行する家臣達が担ってきた。我が国も同様であり、貴族、武家、将軍が政治的支配をおこなっていた頃は、法もまたその独占下にあった。普通の国民に何かの才があり、また何らかの拍子で専制者に目をかけられれば、身分を越えて政治に参加し、法に触れる事もできるが、一般の国民が政治に参加し法に触れられる事はまずなかった。視点を変えれば法とは専制者の意志であり、それゆえに国家は専制者のものと言える。それが専制政治なのであり、一部の人間が政治を動かし多くの意志や情報に目を向けない事を、現在でも「専制政治」として非難する所以はここにある。
 では、現在の民主政治において国家は誰のものか。それは日本国憲法に記されているように国民全体のものである。主権者である国民は政治的意見を自由に述べる事ができ、政治的な活動も認められ、また選挙によって法の作成に携わる代表者を選ぶ事ができる。議会制民主主義における国民は、法に対しての最終的な決定権はないかもしれないが、様々な訴えや署名などを集める事によっての意思表示、政治的情報の流布は、本来なら制限されず、多くの力が集まれば法の制定などの原動力になる。つまり、私たちは自由に情報を送受し、共有することで自身の属する国家について考える事ができ、その政治的な決定力を自由に行使できるのである。これこそが、かつての専制政治との最も異なる点であり、そして民主主義の理想であり必然性を示す糸口にもなる。そして私たちが法を定める力、つまり権力を保有しているのなら、国家の外観は私たち自身で決定しているとも言える。

2012年5月14日月曜日

国家とは何か・情報共有体(4)


 東西南北全ての国内の人間が現在の様な意思疎通ができるのは、明治以降、国語教育により標準語が普及したからである。従って、国家とは民族などの抽象的な認識よりも、言語などの実際的な表現情報によって形成、維持されているといえ、日本は決して単一民族国家ではなく、単言語国家なのであると、私は言いたい。むしろ、日本において日本語が使用出来なくなった時、また日本語が公用語でなくなった時、それは日本と言う情報共有圏でなく、新たなものへと変貌するはずである。それゆえに、言語によって意思疎通を制限された国家こそが、認識できる最大の情報共有体であるといえる。
 さらにいえば、私たちが情報を意識し考える時、まずおこなう方法が「比較」にある、これもまた国家が最大の情報共有体であると言う論拠となる。ある情報を考える時、データをつらつら並べられても情報が多ければ混乱するだけで実像が見えにくくなる。しかし、そこに比べる対象があれば、自らが持つ情報を梃子とした印象によって情報の輪郭を浮かび上がらせる事が出きる。一人で鏡の前に立っても自分がどのような体格の人間なのかわからないが、隣に人が並べばおおよその見当はつけられる。比較によって得る印象は、対象となる情報と比べただけの、一面でしか情報を表さない正確なものとは言い難いが、しかし単純でわかりやすくはある。国家を考える時も同じであり、確かに私たちは地球と言う一つの星に住んでいるが、他に生物のいる星と比べた事が無いため、私たちが宇宙においてどのような存在なのか漠然としすぎてわからない。この生活が幸福なのか、不幸なのか、発達した社会なのか、そうでないのか、比較対象が無い限り、私たちが地球に抱く感想は独りよがりのものであろう。もし、地球を良く知りたいのなら、人類が他の星に移植すれば比較対象が誕生し、私たちはよりいっそう明確な情報を手に出来るはずだ。
 この様に、比較対象が存在する事で、よりいっそう自己の属するものを意識でき、感情移入しやすくなるのである。ナショナリズムもこの様な観点から生まれる、至極単純なものなのである。当たり前の存在である国家としての日本を意識する人間は、日常において多くはないが、オリンピックやワールドカップなど、たとえ少人数でも日本の代表者が出て別の国家の代表者と対戦すれば、そこに勝ち負けはもちろん、身体能力などの参考データによる比較が「日本」と言う国家を意識させ、私たちは自ら属する国家に感情移入する。また、「外国へ行けば日本がよくわかる」と言うが、外国での生活、また異文化の交流等による経験が比較対象となり、そこから生まれた印象によって個人の中に国家としての日本の像が浮かび上がる。対象が存在し、それが比較されれば、その対象の形は漠然と浮かび上がってくるのである。ただし、この印象は形を為すものとしてわかりやすくなっているが、一面的な、もしくは少数の情報によるもので、決して正確なものではない事を私たちは常に承知しなければならない。わかりやすいものほど実像から遠い。情報が氾濫する現在、広告は意図的な印象を植え付け、政治的な流れも少数の「有識者」による印象によって決定されやすいため、国家は右往左往している。あふれるものの中から、私たち自身が知る努力によってより正確な像を浮かび上がらせねばならないのだが、どうであろうか。

2012年5月12日土曜日

国家とは何か・情報共有体(3)


 現在は媒体技術の発達によって情報が手に入りやすくなったと過信して、人間同士による相関関係はおろそかにされ、「業」を投げ出して一人で生きようとする者もいるが、それが実際にはそれほど簡単でない事は世に出て生活すればわかる事であり、他者との交際を避けて生きる事は、自分の持つ可能性や希望を捨てている事と同じであり、他者に知られないで生きることは「死」と同等であると私は思う。間接的に手に入れた情報には責任もない、ただの身勝手さが存在する以上、それが信頼できるものとは言えない。情報が自らの手で簡単に得られるものでないのなら、そしてより確実性のある、信頼すべき情報は、他者と繋がる事によってでしか手に入れられず、その情報によって私たちが生存を続けられるのならば、人と関係を結ぶということは既に共存手段なのである。そして共有、共存関係で、現在認識できる最大のものが国家となる。
 なぜ、国家が最大であると言えるのか。私たちの情報共有関係は、まず最も身近な家族、つまり親子や兄弟から始まる。成長し多くの人間を認識できるようになれば、その関係は多岐にわたって広がる事となり、それは親戚などの広義の「家」、近所などの地域社会、また個人的な学友、親友、趣味の仲間、それから会社での上下関係、人脈が挙げられ、そして自らが新たなる家族を形成する事で情報を次代へ繋げる関係も出来る。しかし、これはあくまでも個人を中心とした関係であり、見知らぬ他者も含めて考えればより広域の都道府県や国家、民族、また生物学、環境学的な分類、すなわち「人間」や「地球」と言った所にも相関関係はあり、私たちは縦、横、斜めへと、またそれを認知する、しないに関わらず、無数の関係を持っている。ただこれらの関係を考えると老荘思想にあるように、全てに、無限に求める事ができ、また霊魂や神など特定の人間が強く信じる情報に軸点を置き換えられてしまう事もあるのでよくよく注意をしながら見定め、考えなければならない。私は地球や宇宙と言ったより広範囲な関係性がある事も否定しないし、宗教などの特殊な情報軸も尊重するが、私たちが現実世界の中で共通して認識できる最大のものは国家であるとこの稿においては規定したい。
 このような限定的な考え方にしなければならないのには他にも論拠はある。そのひとつに、私たちが情報を共有するための手段が言語であることに注目しなければならない。言語が違えば、私たちは意思疎通を行うことが難しく、その難しさがしばしば争いの種になってきたことは歴史の中で証明されている。多民族国家の国は多いが、どの国家も公用語は存在するし、多民族、多言語国家において政治という人と人とのつながりの調整では特に言語による意思疎通が大切なため、その代表者は公用語が、また複数の言語を使用できることが条件となる。この日本においても、かつては方言によって他の地方の人間同士が、話し言葉で情報を交換することは難しかったが、文字は漢字や仮名で統一されていたため、意志の疎通を行うことは可能であった。それゆえに為政者にとって、これらの教養は必須であったし、逆に国民をそれぞれの地域に封じ込め、政治的な力を持たせないためにも、教育の普及など考慮に入れられなかったのである。

2012年5月10日木曜日

国家とは何か・情報共有体(2)


 縦の繋がりとはどんなものだろうか。例えば、私たちは食事をとり成長する。食料が、そしてその中に含まれている様々な情報、ビタミンやアミノ酸などいわゆる栄養といわれているものが、体内において蓄積した結果、私たちの血や肉となり、それが私たちの成長に作用しているからである。この栄養の蓄積は個人的なものだが、それは歳月をかけた情報の蓄積でもあるので、情報の縦の繋がり、つまり時系列上の繋がりであるといえよう。
 また、こういう繋がりもある。人間は通常、食事を2食、ないし3食とるが、それを記録すれば食事が身体にどう作用しているか解るはずである。その情報が細かく、正確さをつかめばつかむほど、人間の身体に及ぼす微細な因果関係までわかるようになるかもしれない。ただ現時点で、そのような高度な技術が想像の範囲を越えないのなら、その想像は個人が持つ点の情報にすぎない。しかしそれをを他者に伝え、それを基に研究し、その想像が技術として実を結べば、そこに情報の蓄積があり、それもまた情報の縦の連鎖といえよう。私たちは情報を認識するたびに「想」を得、それが記憶に残れば、それを起点として新しい「想」を生み出し、「わからない」と言う漠然とした情報から「わかる」と言う明確な情報をえる縦の連鎖が行われ、それが大きな歴史として確認できる。そしてまた、私たちの存在も、母なる海より出た生命の多様的な進化軸の一つであるならば、私たちの活動は、終わり無き縦の連鎖の一地点であると言えよう。
 縦の連鎖があるのなら当然、横もある。例えば、私たちが食について様々な事を知ることができるのは、情報が多くの他者から流され、それを共有できるからである。その方法としては、直接に人とやり取りをおこなうことで、また多くの情報媒体、すなわち新聞やインターネット、テレビや広告を通じるものがあり、そこで様々な食料の情報、すなわち価格や調理法、健康や料理の質などの情報を共有し、それが自己の生存の持続の糧となるならば、その繋がりは横の繋がり、つまり現時点で欲する情報を他者と共有できる繋がりとして認める事が出来よう。
 このような横の繋がりによる情報の共有関係は、自分が臨む、臨まざるとも、すでに生まれた時より始まっており、そして私たちは他者と情報の共有をすることで成長してきた。もちろん、この関係は決して無償でも無いし、時には大きな代償を払わなければ情報を得られない時もあるように、有形無形の複雑な関係が発生するが、しかしそれがなければ私たちは生き続けられず、またその関係性の調整こそが政治なのであると私は思う。
 多くの人はその事を忘れているが、私たちは生まれた時、生存を持続するための情報を何も持っていない。そしてそのような時期は生まれてより何年も続き、その間は親や周囲の人間より情報を得る事で経験を積み、それを選択する事で生存を持続しているのである。いうなれば情報は決して自得したものではなく、他者より「与えられた」ものなのであり、私たちは知る事を積み重ねる事で、その意志を、個人を形成して行くのではないだろうか。たとえ成長しても、無から情報を得る事が不可能ならば、未来永劫、他者との交際によって情報を手に入れ、確かめ、共有しながら生存しなければならないと言うのは、もはや「業」と言えるであろう。

2012年5月8日火曜日

国家とは何か・情報共有体(1)


 国家とは何か。それは広義の情報共有体でもある。人はその誕生から死まで多くの情報を交換し、共有しながら生活する。なぜなら私たちは決して一人で生きてゆくことはできず、集団を形成しなければ生存を持続出来ないからであり、そのためには私たち自身の持つ情報を共有しあい、共存における意志の統一が必要となるからである。そして私たちは情報共有集団、たとえば家族、親族など血縁、遺伝による共有、また村や町など地理的な環境内での生活情報の共有、また言語や習慣、文化など様々な情報を共有する集団に属しているが、国家はこのような集団を、法という情報を共有することで一つの大きな力とし、より確実性ある生存の持続を約束するのである。
 ここで私が述べる「情報」とは、実は前記のようにカテゴライズできるほど単純なものではなく、それは他者に「それを伝えることが出来る」、認識、存在するもの全てであり、その一方で非常に個人的なものでもある。身体的な感覚で得られるもの、また精神における創造物など、私たちが何らかの表現によって他者に伝えられる全てがそこに含まれ、それゆえに私たち自身、一人一人が情報の塊とも言える。逆に言えば、私たちが認識せず存在を感知していないものは、当然情報として成り立っていないし、存在もしていない。情報を個人を起点として考えるのならば、その個人が「知っている」ものが、その個人にとって情報といえる。ただ、もし「知らない」ものでも、そこに「知らない」という認識があれば、それは情報として成立し、それは好奇心や研究心などの種となる。たとえば、かつて私たちは、この住む地球の外がどのようになっているか「知らな」かった。しかしその「知らない」と言う事への認識が、想像を呼び神を生み出し、またその「知らない」ものを知りたいという欲求が科学へと繋がった。ゆえに全ての存在や認識、概念を自己なり他者なりに伝える事ができ、共有できるのなら、それは「情報」であると言える。そして私たち自身も、他者から見ればある一つの存在であり、それゆえに私たち自身も情報であるといえるのである。
 そして自らが持つ情報を言語やゼスチャー等の表現によって相手に伝え、認知させ、また相手から情報を得ることで、自分のおかれた環境を認識するこの相互の関係が、「情報の共有」である。私たちは情報を共有し、その連鎖的なつながりによって自己、そして集団の生存を持続させ、そして未来へと繋げている。
 この連鎖的な繋がりを単純に分別すると、時間軸による縦の繋がりと、また現時点からの横の繋がりがある。そして人はその誕生を起点として、この繋がりの関係を立体的に伸縮させて行く。生きるという事は、その死までの道のりをまっすぐに進んで行くが、そこには確実に情報の蓄積が見られ、また忘れるならば、それは伸縮する。またその歩みを点にすれば、その時点での他者との繋がりや別れが確認される以上、そこにも伸縮がある。これを立体的に解析すれば、それは人生となるであろう。

2012年5月6日日曜日

国家とは何か・自営と自給の観点から(5)


このように考えると、国家には自給と自衛という概念は必須のように思えはしないだろうか。現在の私たちは、金銭によってそれを調達しようとするが、しかしその金銭の価値が無くなれば、私たちは他者からそれを求める事が出来ない。そしてもしそうなれば、それらの必要とするものを私たち自身の手でそろえなければならない。それが出来ないのなら、より大きな集団に保護を求め、吸収され、その国家の一員となるか、もしくはそれが行えるレベルまで分解され、共存するのに不必要と考えられるものは捨てられる事になるのである。もし、私たちが現在の国家を維持し続けて行きたいのなら、「自給」と「自衛」は肝要であり、またその構成者である国民が、「分業」によってそれぞれの役割を果たさねばならないのである。


2012年5月1日火曜日

国家とは何か・自営と自給の観点から(4)


国家の発生は農耕による定住生活が行われ始めてからが定説だが、しかしその目的、つまり共存社会の持続の為の集団という意味でみれば、それよりもずっと以前から漠然と存在していた。例えば狩猟による食料採取をおこなう社会では、単独で行動するよりも、集団で行動する方がより効率が良かったはずであるし、もし獲物が見つからなくても、別の人間、すなわち女性などが木の実を採取すれば、それによって生存を持続できる。狩りにも道具が必要なら、それを制作する人間も必要になるだろうし、日本においては黒曜石の流通があったように、かなり広い範囲での人間の交流はあったようである。そしてこうした1つ1つの集団が次第に大きくなる事で、国家を形成していったのならば、その小さな集団は原形であり、そこには紛れも無く分業が行われ、自給と自衛が達成されているのである。
このような集団が、食料の持続的な供給方法、すなわち農耕を知る事によって、狩猟を捨て定住するようになった。共存社会の目的が、その構成員である各個人の生存持続にあるのなら、古代において自然と戦いながらそれを求めるのことから、自然を利用する事で求めるように転換していった事は、想像に難くない。
しかしこの転換は大きな問題をもたらした。狩猟社会においては移動生活であるため、物事に執着は出来ない。なぜならものを多く保有する事は移動の妨げになるし、彼らはあるものを利用する事を心得ていたのなら、特に定まったものがなくとも、その生活は困難では無かったろう。ところが農耕は土地を必要とする。その土地が広大であればあるほど、収穫も大きく、多くの人間が暮して行ける事になる。そして広大な土地だけでは無く、その土地を潤すための「水利権」もまた重要である。これは見過ごしにされがちだが、農業を営むものにとって見れば死活問題であり、現在も問題となるところが多い。誰もがこれらを求めるようになれば、そこに争いが起こるのは当然である。かつては現在のように、しっかりとした規範があった訳では無い。ただ、感情の赴くまま行動していた事は、日本神話からも伺え、それがゆえに、私は古代社会が必ずしも平和一途であったとは思わない。土地や水利の問題で争いは常に起こっただろうし、また自然災害などによって生産し失敗した時、共存社会を維持するために食料を得る方法として、最も単純なものは、よその集落から奪い取る事であったろう。そうでなければ、なぜ、あのような環濠を掘り、壁を作り、門をこしらえなければならないのか。そこには常に自衛意識があったであろうし、また非常の事態においてはまず自分たちの集団の維持を考える事に勤めた、人間の業が伺える。

2012年4月29日日曜日

国家とは何か・自営と自給の観点から(3)


しかしながら、私たちはこのような繋がりを認識し辛い。家族や友人、職場の仲間や同人サークルは、皆、自己を中心とした目に見える繋がりであり、これらの他者は、自分の生活に直接的なかかわりを持つものであるため、認識しやすい。自己に情報を与え、その感情形成に大きな影響を与えた人達であり、また自己の肉体的な成長に対しても、大きな力を与えてくれた。これらの身近な他者がいなければ、自己の成長、生存の持続はあり得なかった事である。またそれらの他者は、自分の将来においても、力強い協力者にもなる。自分たちが困った時、また助けを必要とした時、彼らとの繋がりが緊密であれば、その助けを得る事が出来るだろう。そして逆の場合、他者が助けを求めた時、それを助ければ、他者との緊密な関係は維持され、それは信頼となって返ってくる。そういう関係こそが、国家の基盤となるのである。
だが、それと同じぐらい、見知らぬ他者、つまり直接的なかかわり合いを持たない人間達も、自己に影響を与えている事を見過ごしにしてはならない。彼らがいなければ、私たちの生の存続は無い。彼らが様々な職業につき、その役割を果たしているからこそ、私たちは自分の役割を果たせ、その結果自己の価値を、つまりは給与などを得る事が出来、その生の存続が達成されるのである。もし見知らぬ他者がいなければ、私たちは彼らが生産するものを、自己によって生産しなければならなくなる。自分が学生なら、サービス業、製造業に従事しているのなら、農業を営む者がいなければ食料が手に入らない。またたとえ各種の職業に就く人間がいたとしても、学生時代がなければ、健全な、次代を切り開く人間は育たない。そういった観点から見れば、私たちは目に見えなくても、相互に関連した生活を営んでいるのであり、そしてそれによって共存をおこなっているのである。
国家とは、この共存社会をより持続させるという、一つの目的を持つ集団である。その手段は「分業」、「自衛」、「祭祀」など様々あるが、様々な歴史を踏まえた現在では、さらに「教育」や「金融」、「社会福祉」などの手段によってその集団を持続させようとしている。しかし共存社会を保つ手段として最も必要なのは、「分業」による「自給」と「自衛」であろう。

2012年4月27日金曜日

国家とは何か・自営と自給の観点から(2)


ここで誤解を招く前に1つ言い添えると、私は国家と政府を混同しない。国家はあくまでも個人の集合体であり、それは様々な情報の共有によって繋がる集合体としている。政府はその代表機関であり、また執行機関であるに過ぎない。ゆえに家族や地域社会、学校などにおける人とのつながりが、皆、国家の構成者なら、また様々な規範、権利などが最終的に国家に帰属しているのならば、私たちの生活は国家の恩恵を受けているといえ、またそれを必要としているのならば国家を必要としているといえるはずである。
「一人で生きられないという事はない」、そう言い切る人間もいるだろうし、また進んで他者との関係を絶ち一人で生きようとする人間もいる。私たちは生きてゆくために様々なものを必要とするが、現代社会においては、それを自分が持つ金銭で購うい、そろえる事が出来る。食料から家電製品、また様々な情報まで、金銭によって手に入らないものはなく、また多くの機械は生活をサポートする能力がある。だがよく考えると、それらのものは、自分一人の力で手に入れられるものでは無く、必ず関わる見知らぬ他者がいるといえるだろう。例えばテレビを自分の物とするのに、いったいどれぐらいの人間の手を経るのか。その原料から、製造工場、流通業者から販売業まで、またその製造を支える工作機械や、販売における宣伝など、1つのものに対して、実に多くの人間の関連性が伺える。それは食料品においても同様であるし、またサービス業もそうである。自分の使っているパソコンは自作だから、他者の手を経ずオリジナリティ溢れたものだというかもしれないが、では、それを構成する部品1つ1つ、CPU、やグラフィックボード、ディスプレイまでを自作したのか、その材料は集めてきたものなのかと考えると、最終工程は自作とは言え、やはり多くの人の手を経てきた事には変わりない。たとえ一人で部屋に籠っていたとしても、食料の調達、部屋の電気、トイレにおける水に至るまで、一人で生み出せるものなど全く無いのであり、常にそこには他者の手が関わっている以上、私たちは他者との繋がりを避ける事は出来ないのだ。
また世捨て人、という人間種もいる。彼らは自己の生活を自身の手で執り行い、その欲求を捨て、他者と関わらない生活を送っている事を誇りとするが、では、彼らが国家に庇護されていないのかと言えば、決してそうではない。彼らが国家の規範外の人間であるならば、その身の安全は保障しかねないが、彼らが生存し続けられるのは、国家と言う様々な規範を守る集団内にいるからである。また彼らが同ここまで成長したのかを考えれば、それは一人で成長したのでは無い以上、国家の庇護を受けていたのである。その事を忘れ、自分一人だけ国家の圏外に置こうとする行為は、私には忘恩の行為であるとしか感じられない。

2012年4月25日水曜日

国家とは何か・自営と自給の観点から(1)


国家とは何か、私たちは既に生まれた時よりそこに属しているので、そのことについて知ろうとする事を忘れている。日本という国家が、「現在どのような状態であるのか」、「今後どのようにするべきか」、「昔はこんなによかった、悪かった」、などを論じる事には熱心であるが、「国家とはそもそもなんなのか」、という事を語っている人間はあまりにも少ないように思える。理想論などではない、方法論でもない、ただ「それはなんなのか」、私たちは常にそれを見過ごして国家を論じようとするが、それを深く追求しない為に、自己の欲求と国家を同期させてしまう。それゆえにいつまでも政治が先に進まない、私にはそう思えて仕方がない。
では、改めて国家とは何か。それはまず個人の集合体である。
個人の生存目的、それは個々人の意識においては全く違うものである。しかし、人が死によってその終わりを迎えるのならば、その死まで生き続けようとするのは人間共通の欲求である。どんな崇高な意識を持っていても、自己の生存が危ぶめば、それを護ろうとして懸命になる。また、自己の死が既に決定的になった時、その死によって他者を生かす事が出来るのなら、またその死に意味を持たせようとするのなら、それもある種の生存の欲求である。肉体的には死すが、しかし他者の感情の中、記憶、記録の中で自己の行為が刻まれるのなら、それは生き続ける事と同義であろう。肉体の死だけでは無く、完全に忘れ去られる事、それもまた死であると言えるのでは無いだろうか。
そして個人は自己の生存を持続させようとして、他者と繋がることを求め、その繋がりが国家となる。そして国家とは原則的に自給によって維持され、その為に分業が行われる。これを一言で現す事は難しいが、しかしその存在意義で言えば、国家とは「共存社会」なのである。
「国家とは何か」に対しての答えを得る為には、まず「なぜ国家が必要なのか」という方面から攻めるのも良いだろう。
私たちは生まれてくる時、国家を選べない。成長したらそこに属するのを拒否する事も可能かも知れないが、しかし現実には、私たちはそこを離れられないでいる。それはなぜかというと、私たちは決して一人では生きられず、また私たちが成長出来たのは、周囲の人間と国家の恩恵を少なからず受けている事を認識しているからだ。

2012年4月23日月曜日

憲法を制定するため、どうすれば良いか・2・国民の信頼を基とした明確なルール作り(5)


どんな政治運動を志す人間でも、これを心に刻み、たとえその身に傷を受けても、ぶれる事なく自らの信念を持続できれば大成できるはずである。そして政治的な行動と経済的な、価値獲得の行動を切り離す事により、政治的行動が日常生活において実は無害で、有益なものである事を実証しなければならない。よく政治運動家は、その目的を達成するためには自己の生活などを犠牲にすることをいとわないといい、そこに崇高な意志が存在していると誇らしく語る。しかしそれは嘘であり、彼は自分に酔っている、もしくは自分の犠牲によって他者から信頼や金銭などを得ようとしているだけである。現在が専制制度の時代ならば、そこで政治運動をおこなうには、そのような犠牲が必要になるかも知れない。人知れず、深夜に隠れ家に集まり同志を募る、専制者と同じ力を得るためには、その種は地中深く埋め、根を張らなければならない。それゆえにいつその芽が抜かれるかの覚悟をしなければならず、そのためには様々なものを犠牲にしなければならなかった事も確かである。
しかし現在は、彼らの犠牲によって、私たちは主権者として自由な存在である。同国民や他者を信頼し、彼らの自由を侵さなければ、言論も、選択も全てが自分の意志によっておこなえる。そしてそれが現在の政治運動の革新ならば、私たちにはどんな犠牲が必要なのだろうか。これ以上、どのような権利が必要なのだろうか。それ以上を欲すれば、それは誰もが欲しがるであろうし、そのためにはあらゆる手段を使わせ、闘争となり、私たちの日常は大きく狂う事になるだろう。そしてそこには多くの自己犠牲だけではなく、他者に犠牲を強いる事になるのなら、その当事者は専制者となんら変わりないのである。ゆえに私たちは日常を崩さずして政治的運動をおこなうためにも、企業や公務を侵さず、それをルールとして明確化し、それを護る事を達成できるはずである。
そして最後のものは、これまで繰り返し述べてきた、政治的行動に必要なもの、他者への信頼をルール化する事である。この事にたいしては説明しようと思わないが、しかしこのルールを定める事によって、本当に運動を志すものと、そうでない者との区別は出来るはずである。本当に日本を変えたいと思っている者は、同国民を信頼しなければそれが出来ない事はわかっているはずであるし、私たちは共存社会の一員として、他者の存在がなければ自己の生存が確立できない以上、他者を信頼する事は当たり前の事なのである。確かにこの事は口に出して言うほど簡単な事ではない。私も人見知りの方だが、それはやはり過去の経験などから、他者を無条件に信頼できないという気持ちがあるからである。しかし、国民運動は、こういった事を乗り越えねば達成できるはずが無いし、私たちは隣にいる人間の気持ちを知ることが出来ない以上、自分が正しい道を歩き、なおかつ他者を信頼する事でしか幸福になる事など出来ないであろう。それがゆえにこの意志をルール化する事で、大きな新歩へ踏み出す事が出来るのではないだろうか。こういったルールを作る事こそ、他者を信頼していない証であるという批判はあるかも知れないが、それは筋違いの事であり、今は無視したいと思う。
以上を持って、私が憲法を新たに制定するための運動方法について記し終わりたいと思う。ただ、繰り返し述べるようだが、これは私の案であり強制ではなく、このような方法論も、多くの意見を集約する事によってより良い者が出来るはずである。そういった者を持っている人に私は教えを請いたいし、それを無視する事はしたくないと思う。

2012年4月22日日曜日



 4月17日の勤務終了後、街頭演説をする予定でしたが、体調が思わしくなく、中止としました。
 4月21日は、今月最後の街頭演説でした。来月は、憲法記念日もあり、もう少し話題が増えると思います。
 皆様、よろしくお願いします。

2012年4月15日日曜日


 
本日も2時過ぎより、4時30分ごろまで街頭演説活動を行ってきました。
 少しカメラのアングルが悪く、お見苦しい映像で申し訳ないです。
 次回は4月17日火曜日、17時ごろより行う予定です。
 コメントなど、よろしくお願いします。

2012年4月14日土曜日

新歩会・4月14日街頭演説






 今月はじめての街頭演説です。


 なぜか知りませんが、予定日には雨が降ります。


 本日は、政党政治についてを中心に、憲法を変える理由を述べました。


 明日も時間が許せば、実行します。


 コメントなど、お待ちしています。

2012年4月12日木曜日

新歩会・4月の街頭演説予定


今月も、街頭演説を、相模大野駅北口デッキ上でおこないます。
日時・4月14日[土] 午後3時より午後5時まで
   4月15日[日] 午後1時より(未定)
   4月17日[火] 午後5時より午後8時まで
   4月21日[土] 午後1時より午後5時まで
 新学期が始まったばかりであり、行事や集まりが多いため、時間通りに行えないかもしれませんが、よろしくお願いします。見かけたら、お気軽にお声掛けして下さい。

2012年4月9日月曜日

憲法を制定するため、どうすれば良いか・2・国民の信頼を基とした明確なルール作り(4)


3つ目は、政治的な運動のために企業の活動や公務を妨害しない事である。
政治的運動は、政治が人と人との関係の調整、またはそれに関する行為であるのなら、それは一部の集団に向けられるものではなく、全体に向けられるべきである。そして私が望む運動は、あくまでも私たち自身の日常を崩す事なく、平和裡で、穏健なものである以上、私たち自身の価値獲得の行動、いわゆる経済的活動を乱さず、また公務を妨害する事もあってはならない。日常の生活の資を得るために私たちは仕事をせねばならず、また私たちが仕事をして共存社会の中においての分業の役割を果たさねば、その共存社会が立ち行かなくなる。この分業形態の中に、もしかしたら無駄なもの、必要のないもの、余剰であると、各個人に感じるものはあるかも知れないが、しかしそれらも私たちが共有する価値体系の中にあり、そしてそれが必要としているのなら、それを卑下したり、無視したり、妨害してはならないのである。
日本の大衆行動の歴史は、それが政治的にも経済的にも、必ずそれは企業などの組織との闘争を付随すしてきた。政治と経済が切り離せぬ存在であり、私たち自身の生活にも直接的な影響がある以上それを止める事は出来まいが、しかし小利を追い求め、自己の欲求だけを満たそうとすれば、それが際限なく拡大し、押しとどめるには強権が必要となる。経営者が労働者の質疑に対して真摯に対し、その答えを明確にすれば、また労働者側も、その当初の目的以上の要求を、もしくは現状に会った妥協をおこなえば、起さずに済んだ事件や混乱は多々あるはずであるし、その収束もはやいため影響も小さくて済むのである。そして運動が小さいながらも、正当な手段によって持続できれば、その良心が共感を生み、さらに大きなものをつかめるはずである。正当な政治的行動こそ、どのような人間でも認めるものであり、万人の共感を得られれば、それは成功する。それゆえに、現在、私たちの生活手段に必要な価値獲得の行動を、遮り、妨害するような行動は認められないし、慎むべきである。
さらに言えば、憲法の新たな制定運動など、広義の政治的運動と企業活動などとの関連性は、直接的にはないはずである。その運動のためにストライキを起す必要性もないし、ヤミ専従のように、わざわざ仕事を休んでまでおこなうこともなく、就業が終わってからの個人的な時間、または土日祝日などにおこなうことでその達成は可能である。このような運動で基も肝心なのは、数を意識する事ではなく、個人個人が自己で情報をまとめ、意志を作り上げる事であり、それが自発的な集団となる。それゆえに集団として意志を共感とし共有する事も必要ではあるが、大切なのは一人一人がこの運動に対してどのような意義を持ち、またどのような理想を持つかにかかり、そして最終的には同国民を信頼する事にかかっている。実はこれこそが政治運動において最も難しい事ではあるが、しかしそれを達成せずば、よい国家は築けない。

2012年4月6日金曜日

憲法を制定するため、どうすれば良いか・2・国民の信頼を基とした明確なルール作り(3)


1つは、新たな憲法の制定とそれに関する事、また現在の憲法の改正もしくは廃止などの選択は、必ず全ての国民、有権者によって行われるものとするルールである。憲法を変えるという事は、国家的な変革行為である。もちろん、運動が良心によっておこなわれ、それに対して圧力などがなければ、私たちの日常生活は、それほど変わる事のないまま、変革を迎えられるのであり、ルールなど必要はない。誰もがそれに関わることが出来れば、その責任は公平に分かち合われ、また誰もがそれに関わっている事が確認できるのならば、その選択は真摯におこなわれるだろう。
しかしもし、その選択が一部の人間しか出来なかったら、また国民が無関心のうちにその選択が実行されてしまったら、その選択の結果に対して多くの人間が不満を抱く動機となり、それは国家への忠誠にも反映される。私たちは同じ共存社会において生活している以上、それに対する選択は参加すべきであるし、選択に参加出来るからこそ、より国家意識を共有できるのではないだろうか。ゆえに日本の将来は、全ての国民によって選択されるべきであるし、この運動に対してだけでもそれが行えるように、ルールを明確化しなければならない。
2つ目は、この運動をおこなう国民は、全ての他者の自由を尊重し、それに対して強制や力を振るってはならないというルールである。政治運動は、その動的、静的関係なく、全てが数の力によって決定する。専制政治における主権者の交替はそのほとんどが闘争によって行われるが、例えばそれが戦争になれば、間違いなく数の力によってその勝利は決定するし、たとえその力が少なくても、それが多くの人間の生殺与奪を握っている事を知らしめる事が出来れば、それは多数として意識されそれに従うであろう。この例として、少数の軍によって行われる兵糧攻め、または権力者の買収などが上げられる。
民主主義において、全ての選択は投票によって決定し、それはもちろん多数決が原則となる。少数の意見や意思を尊重し、その機会を次に与える事は出来るが、しかし多数者に属する一人一人の意志もまた少数者と同じ重さである以上、その原則は守らねばならない。昨今の政治において、少数者の意見が無視されるとして談合に持ち込んだり、やたらにそのことを振りかざし少数者の意志を実現使用とする者がいるが、それこそ民主主義を馬鹿にする行為であり、多数者も少数者もその機会は公平に与えられている以上、多数決の原則は守られなければならない。しかしそれをよくわかっているからこそ、どんな方法によってでも体あらを得て、それによって多数を得ようとする人間がいるのもまた事実であり、それが権力者による独裁や衆愚政治を招くのも歴史において実証されている。
それゆえに多数を得るための方法としての原則を、最終的には本人が決定し選ぶ事であり、その邪魔をしてはならない事とルールによって定めるべきである。例えば政治家が、マニュフェストなどによって期待を抱かせるような事を言い、それを信じて投票するのは、もちろん当然の事であり、それを責める事は出来ない。その公約に作為や行きすぎがあるのなら、多少そのことは問題にしなければならないだろうが、しかし冷静に現状を知り、またその公約を良く知ろうとすれば、そのような作為は簡単に見破られるはずだし、またそのような事をおこなった政治家や政党には、次回選択の対象から外せば良いのである。それ故に余程悪質なものでない限り、言論などによって数を集めようとする行動は規制してはならず、選択者の良心に任せるべきであろう。
しかし、数を集めるために、他者の秘密を握りそれによって脅したり、また社会的な地位をつかって、もしくは集団の無言の力を背景にそれを強制しようとしたり、またもっと直接的に、金や暴力によってそれを行う事は絶対に認めてはならない。力を行使する事で数を得るのは容易いが、しかしそれは個人の選択の自由を阻止するものであり、またそのような方法をとらざるを得ない選択肢は、全うな運動では多数が得られないものであり、その質が良いものとは言えない。さらにその行使の容易さは、それを繰り返させ、またそれを感じたものに刺激を与え、それを模倣させる結果となる。そのような力の行使が乱立すれば、その運動はもはや当初の目的は忘れ去られ、ただ闘争の中で自己が勝ち進める事にすりかわる。またそれを意識して自己の力が弱いと感じれば、彼の理想がどんなものであろうと、力の大きさのため簡単に軍門に降り、頭を垂れることとなる。それ故に、このような力の行使は、絶対に排除するべきであり、それを認めてはならないのである。
デモ行進と警官隊の衝突、また運動家同士の内紛などは、その運動の目的とは全く別のところで行われるが、しかしその影響は運動全体に波及する。穏健なデモ行進に対して、政府がその数の多さを気にして妨害に乗り出せば、それを行う政府に対して国民は不信を感じ、より運動を過激にさせるが、そのようにして集まった人間は運動そのものの目的に共感した訳ではないといえる。また運動家同士の間で、ごくわずかな意見の相違、また感情的なもつれから分離する事はよくある事だが、しかしそれが暴力行為の背景になるのは、支配、被支配の関係だけでなく、主となる者にとってはそれによって自己の持つ数が減る事を恐れるからである。そしてそれによって維持した数も、運動の目的や本質とはまた別個のものである。それらは本当の選択力にはなりえない。現在の私たちには、法的に認められた言論の自由があり、また代表者である議員となる候補者を推薦したりする力もある。そして物事を推し進めるには、結局最後は正道に乗っ取るのが一番であり、それこそが多くの人間の理解を得られ、長く続ける事が出来るのならば、運動はそれによっておこなわれなければならない。それ故に他者を認め、力に頼らないようにするため、その明確なルールを作る事は絶対に必要であるといえよう。

2012年4月4日水曜日

私たちの目指すもの


神や仏が、この世、また違う次元に存在するのかどうかわからないし、確認もとれない。そういう考えの私は、無神論者とされるだろう。しかし私は神や仏のような超常的な力、既知宇宙の万物を越えた存在が「無い」というつもりもないし、極力否定もしない。なぜなら、それを確かめる術が無いからだ。そしてこの様な存在があるとも、無いとも言えない以上、それに頼り、すがるべきではないと思う。
かつて、私たちの先祖は、現在のように「知」で明かされた情報も少なく、また一般に普及していなかっため、この世の不思議、謎なもの、説明出来ない様々な物事を、神や仏など人を越えた存在を創造する事で、納得し、安心してきた。またそのような存在を認める共感によって、特定の共存集団を形成、維持し、その存在を探求する事で様々な思弁や理学が発展してきた。
例えば天気一般の現象について、その知識が不十分であった時、私たちの先祖は雨が降って欲しければ神仏に祈って雨ごいをし、雷が鳴ればへそを隠した。しかし現在では天気は予報出来るものであり、人工雨を降らす事も出来れば、雷の正体が放電であるということは小学生でも知っている。また暴力、殺人などが日常生活においてなぜ悪なのか、その説明が難しく、力が尊重、畏怖されていた頃、例えば人を殺害すれば地獄に落ちる、また死後の生まれ変わりにおいて畜生になるなど神仏の世界間を利用する事で、そうした力を抑える事が出来た。しかし現在は、様々な哲学や思想によって自己抑制の理由を自得出来るし、法によって抑制を強制し、その行為に罰を与える事が出来る。こうした歴史をかんがえると、私たちは随分と神仏の力を頼らずして、私たち自身の力によって自己を向上させ、共存社会を築き、維持出来るようになってきた。
一方で、私たちには解けきれぬ謎も多い。例えば死んだらどうなるのか、なぜ不幸な出来事が起こるのか、私たちが認識出来る世界や宇宙はどのように形成され、実存するものなのか、こうした事はいまだ証明出来ていない。こうした事を想像力を加味して利用する事で、娯楽、つまり小説やゲーム、アニメや映画、として楽しむ事が出来るが、一方で未開のため不安を誘引させ、神仏にいまだ依存しているところが多い。それは様々な儀式から物品の販売にまで密接にからみ、それによって生計を立てているものもいる。こうした儀式をになう宗教は、現在では理知や悟りの獲得のための修業よりも、過去からの惰性に依存しているようにも感じられる。
また宗教を背景とした不寛容も、現在の人類にとって大きな足かせとなっている。神仏がどのようなものか証明出来ない以上、人が何を信じようが他者に迷惑をかけなければ構わないと私は思うのだが、しかし現実には宗教対立は存在するし、自分の侵攻しているものを盾にして、自己の欲求の実現を図ろうとする者も多い。彼らにとって見れば、自己の信じるものが至高の存在なのかも知れないし、それによって様々な事を説明し、解決出来るのかも知れないが、しかしそれを証明したり、他者に理解してもらう事はなかなか難しい。それゆえ宗教の問題は個人に帰属され、政治や教育と宗教は切り離されるべきなのだが、どうもうまくいっておらず、宗教の数の力は様々な場所に影響している。神仏は世界中に形を変えて存在しており、そのどれがもっとも至高の存在なのか、誰も証明出来るわけではないのに、なぜ人は本来愛や善を教える宗教によって争うのだろうか。
私は、もう人間は神仏と距離を置き、私たち自身の力、人間が持つ知の力によって歩みはじめるべきではないかと思う。もちろん、人間の既知では説明出来ない事は多いが、それは神仏に頼ってまで理解するものなのであろうか。そしてこうした事を神仏に頼り続ける限り、私たちは現在以上に進む事は出来ないだろう。アダムとイヴが知恵の実を食べたことで、私たちは神仏を創造し、表現してしまった。そして一度多様性を持った私たちの種族が、自己の信ずるものが最高であると証明するために天まで届く塔を築き、争い、滅んだ。もちろんこれは、私の勝手な曲解である。しかし私には、一片の真理はあるように思える。
理解されるのは随分先かも知れないが、私は、人間が現在以上に進歩する事は、自らの力によって出来るものと信ずる。人が神仏を創造したのなら、人が未来を創造する事もできるのではないだろうか。

2012年4月2日月曜日

憲法を制定するため、どうすれば良いか・2・国民の信頼を基とした明確なルール作り(2)


日本の現状を見れば、もはや統治者たるべき人間も、それを支える人間も、変化が間近に迫っている事はわかっているはずである。彼らにとってみれば、現在自分たちの持つ力を利用すれば、その変化を有利に引き寄せられると思っているだろうが、しかしそれが夢のようなものである事は第1部でも述べたので繰り返さない。それでも彼らが、もし自分の望む方へと変化を引き寄せようとするならば、それなりの強引さ、もしくは強権をも振るわねばならず、それに多くの人間が気付けば彼らに対して不満は生じ、混乱は避けえぬものとなるであろう。そのような動機によって引き寄せられた混乱は、必ず革命的な行動へと向かわせる事になり、結局は持てる者が奪われ、全ての国民が血と破壊の恐怖に晒される事になり、しかしそれは大衆が満足するまで終わらない。このような革命は、確かに国家の転回点となりえるが、しかしそれは国力の低下や、長期的な混乱の要因ともなり、私は必ず避けるべきものであると思っている。そしてこのような事を恐れるのであれば、力によって自己の安定を維持するのはやめて、国民、他者の良心に変化を、未来をゆだねた方が賢明であるといえる。
ただ、このように訴えたところで、全ての人間にそれが伝わる訳ではなく、行動する人間の数が多くなれば、その影に隠れて道に外れた事を行う人間は多いだろうし、またそれを自己の飛躍の機会とする人間も多いだろう。そしてそれらを感じる事で、政治的行動者に対して不安を抱く。そしてさらに言えば、私たちは既存の基準を、その解釈を専門とする人間(つまりは弁護士や政治家、またメディアなど)に依存するあまり、知らなさすぎるという欠点があるので、政治的行動に躊躇せざるを得ない。それはどういう事かといえば、自分たちの政治的行動がどのような法基準によって守られているのか、あるいは制限されているのか、また法基準に従った正当な訴えの方法をどれだけ知っているのかといわれれば、それを詳しく知っている者がどれだけいようか。例えば、街頭演説やビラを配る行為はどのような手順を踏み、どの程度まで許される事なのか、またもっと日常的に、例えば仕事の昼休みに、同僚などと政治的な話をして良いものなのか、自粛すべきなのか、自己の勤めているところではどのような基準が適用されているのか、知っている人間は総多くないはずであり、それがゆえに私たちは政治的行動に不安を抱いているのではないだろうか。なぜなら、もし基準を知らずして政治的行動をおこない、それがどんなに純粋な動機であったとし手も、現行の基準から踏み外れれば自己に災いが及ぶからである。だからこそ私たちは亀のように閉じこもり、政治的行動を慎むうちに関心もなくしてしまったのである。それ故に私は、もし新しい憲法を制定する国民運動を起すのであれば、その運動のための明確なルール作りは必須であり、それがなければ国民もその行動を起せないだろうと思うのである。
このルールは大きく4つに大別される。

2012年3月31日土曜日

憲法を制定するため、どうすれば良いか・2・国民の信頼を基とした明確なルール作り(1)


新たな憲法を制定する事は、新たな国家の創造であるといっても過言ではない。それ故に日本における全ての主権者は、この政治的行動に参加しなければならないが、どんな政治運動も、それが大きくなればなるほど混乱しやすいものである。
しかし、これから日本が大きな変化を向かえるのであれば、それはなるべく大きな混乱、つまりは血が流れ、破壊が行われ、日常生活が乱されるようなが無いようにしたいものである。そしてその変化を憲法を変える事で自主的に受け入れるのならば、その運動は民主主義制度のもと、健全なものでなければならず、それがゆえに運動の明確なルールは必要である。
政治的運動は、いつの時代もそうだが、純粋な政治的行動と私欲の実現行動が表裏となる。
純粋な政治的行動は、常に抑制によっておこなわれる。それはなぜかといえば、このような行動をおこなうものは、政治的な実現がその国家や共存社会の人間の信頼を得ねば成り立たない事を知っており、そして信頼さえあれば理想の達成が困難でないと信じているからである。ゆえに彼らは日常生活を乱す事なく、言論によって、著述によって、そしてまた集会や討論会などの対話によっておこない、そして必要なときには恣意的な行為をおこなうが、しかしそれはただ単に数の力を見せるだけの、静かなものにとどまる。しかし、このような活動は自己の実現の機会であり、私欲をかなえるチャンスでもある。それが理想をかなえるための、数の力を集めるための方便、つまり自身が行動の指導者などになろうとしているうちはまだよいが、そこに私欲をおりまぜ、例えば資金を懐にいれ、また物を奪ったり、騙したりするなど他者の信頼を踏みにじり、さらには暴力行為や破壊などによって、自己の鬱憤晴らしを行えば、他者の信頼を失うのと同時に純然たる政治的運動の正当性を失わせ、終わりへと導く事になる。その実例は、日本においては安保、学生闘争において、また近年の保守、革新、NPO法人からボランティアに至るまで、あらゆる政治的行動の場面で度々目にすることであり、それが国民を政治的な行動に疑いを抱かせ、それから引き離す原因ともなっていると私は感ずる。
最も国民を政治から引き離すのは、運動家によってだけではなく、統治者側の計画、またメディアが娯楽を求めるために、種を蒔いたからである事を、私は否定しない。陰謀論を信じようとまでは思わないが、しかし歴史が必ず勝者によって書かれるものである以上、そこに隠された出来事があるのも否定できないだろう。学生闘争なども、本当に左翼学生だけが各争乱、事件の端緒を開いたのかか否か、そこには当事者の入り乱れた主張があるし、政府などの公的機関が治安の名の下に情報を集める、もしくは鎮静させる手段として様々な手法をとってきたのは、戦前の日本からも、現在のアメリカ、中国、北朝鮮からも良く知ることが出来るはずであり、実際にそれを行っていない国はないだろう。国民が政治から距離を置く理由に、明確な答えが出せないのならば、やはり時代を変えようと志す人間は、これらの事を肝に銘じておくべきであるし、だからこそ私は全ての国民にその選択への参加を求め、その恐れの確率を少しでも下げたいのである。

2012年3月29日木曜日

憲法を制定するため、どうすれば良いか・1・2期に分かれる運動(4)


以上の方法が憲法を制定する上で最良のものであると私は思うが、しかし時間の消費と、国民の労力を考えれば、この方法に対して首をかしげ、実現は不可能であると思う人も多いだろう。国家の変革は数の力を背景として、性急果断におこなうべきである、そう考える人も多いはずである。しかし良く考えて欲しいのは、憲法を改める事は基準が変わる事であり、その基準の範囲が変わることで国家の形もまた変わり、私たちの行動範囲も変わるのならば、日常生活も変化する。そしてそれを良き方向へと進め、また変化による国民の不満を出来るだけ少なくするには、ごく一部の限られた人間に任せるよりも、より機会が増える国民全体による討議が必要ではないだろうか。ごく一部の選良が国家の方向性を決める事で、私たちは価値獲得の、経済的行動により多くの時間を割く事ができるが、しかしそれによって政治という普遍的な行為が専門化すれば、私たち自身が国家に対して意見や意志を述べる障壁は高くなり、内にも外にも閉ざされてしまう。しかもその専門家を選ぶ方法も、必ずしも確実な良い方法があるとは言えない。
もし、その選出方法に確実性があるならば、自然災害が多く、自給が難しく、外国の動向に流されやすい国家であるとは言え、日本にここまでの停滞は起こり得なかったのではないか。良い学校を出ているから、多くの人脈、財産、資産を持つから、企業における肩書きが良いから選ばれる、なるほど、その獲得にはその人間の才能や幸運が現れている以上、それを否定する事はしないが、しかしそれがそのまま政治的な才能の現れ、国家に対する忠誠と情熱を表しているのかといえば、それは話は別である。そしてそのギャップが明らかになる事で国民の政治不信を招き、国家という共存社会への信頼を低下させるものになっているのならば、そのような選出方法には問題があるのである。社会的に良い地位に就いている人間、また選ばれた人間以外でも、政治的に、人間的に優れた能力を発揮できるものは必ずいるはずだが、私たちは定型的な判断によってそれらの人間に対する機会を失わせしめている。だが、全ての国民がその選択を実行できれば、その過程において、彼らにも機会は与えられるだろうし、またそれらの人間の台頭は、既存の選ばれし人間の対抗心を燃やさせ、その持つ才能を遺憾なく発揮させる事になるだろう。それは国家の活性化へと繋がることになるはずである。そして私たち国民も、多くの選択肢が増え、また自ら参加する機会も増えるのである。
私は、この2期における政治的運動によって、政治的意識が国民に芽生える事を期待する。そして国民自身がその基準を選択すれば、基準に対してより忠誠を誓う事となり、その結果秩序が確保されれば、国家の成長もまた期待できるはずである。そしてその基準も変化を受け入れられるものならば、たとえその時誤った選択をしていたとしても、それを変える事も可能なのである。最もそれが間違いであったかどうか知るには時間が必要であり、法基準が簡単に改正されるのも問題ではあるが、しかしその機会は消して失わせしめてはならないし、その機会を使用するのも国民自身である事をより認識できるであろう。現在の基準を変え、新歩し、国民に政治的意識を明確にさせるためには、間違いなく国民運動が必要なのである。

2012年3月26日月曜日

憲法を変えるため、どうすれば良いのか・1・2期に分かれる運動(3)


多くの意見が集まり、それがテーマ別に分別されれば、さらにその意見を統合する作業が行われる。多くの意見には重複するものもあれば、また表現的には違えどその意義や趣旨は同じものもあるであろう。公的機関はそれらの意見の整理をおこない、そしてそれを発表しなければならない。それはもちろん議会に対してでもあるが、同時に私たちに対してもおこなう義務はある。意見はテーマ別に、そして各条文は選択肢としてまとめられるが、その提案に付帯する意見も、公論を助けるものとなるため、なるべく多く公開するべきである。それは政府が刊行する白書のような形式として、なるべく一家に一冊は配布されるべきであると思う。またインターネットによってそれを参照できるのならば、刊行物を配る必要はなく、費用も抑える事は出来るはずである。
これらの集まった意見を基にして憲法の草案を作るが、それは議会の仕事となるであろう。議会において新しい憲法の各章を定め、その条文は3つほどの選択肢に絞るべきである。様々な意見を少数の選択肢にまとめるこの作業こそ、新たな憲法の制定作業において最も時間がかかり、最も論議が必要な所となるはずである。ただ、私たちはこの作業を国会議員に任せねば、国会議員はその存在意義を失うだろうし、それを踏まえて私たちは有識、良識ある人間を議員として選出せねばならない。
しかし、選択肢からの意志決定を議会のみによって行い、そこで1つの草案にまとめ、その可否だけを国民に問えばよいとも思うだろうが、しかしそのような一元的な方法では、党派性とそれに付随する利益誘導が必ず議員の精神に根を張り、国民の無気力を招くのは、今までも政治史を見れば確実な事である。国民の代表者である議員が憲法の条文を起草する事は、立法府としての権限として認められるが、しかし新たな憲法の制定は、新しい国家の誕生であり、それが国民の選択によって行われるべきなら、条文に対する選択肢をいくつか用意し、複数回の国民投票において多数決で決定されるべきである。
憲法の条文を一時に決定するのは、その条文が百を越える可能性がある以上、それは時間的、また労力的にも不可能な方法である。それ故に憲法の決定は各章別に、何回かに分けて、全ての条文を国民に検討してもらい、選択するのが有効的である。このような方法だと、その選択の決定に矛盾が生じるという恐れがあるかも知れない。しかし選択は国民の意志であり、そこに矛盾が生じるのならば、それは条文の表現に大きく問題があるのであり、そこには意志を反映させる細かい調整が必要とされるのである。例えば国家において軍は欲しないが、安全保障のための力は欲する場合、国民は軍を拒否するだろうが、それよりも制限された力を持つ現在の自衛隊のようなものならば容認するだろう。安全保障のために力を保有するという意味において、この本質は全く同じだが、その細部が、表現が異なれば、国民のそれに対する感情もまた異なり、矛盾しているように見える事でも、その求めているものは全く違うのである。それ故に、国民の選択の決定に矛盾があるように見えたとしても、それが何か探り、新たな選択肢を提示する必要はある。

2012年3月24日土曜日

3月24日 街頭演説

先週の土曜日にはじめての街頭演説をおこなって、1週間、3回目にして今月最後の街頭演説になります。しかし今回は、少し風邪気味であり、また今週は仕事の後にも参加しなければならない地域の公務も多く、そうした疲れもあってか、あまりうまく演説する事が出来ず、2時間ほどで切り上げました。
 公開するべきか、ためらうところが有るのですが、拙い演説で何かしら得るところのある人がいればと思い、恥をさらすつもりで・・・。

 今月の収穫としては、演説によって多くの人に話しかける事で、何を訴えるべきか、自分の中でも少しずつ明確になってきた事です。私は、新しい憲法を国民の手で制定する事で、日本の未来に成長を、そして私たちの時代を私たちの手で築く事で、国民としての自信、そして政治意識の向上が得られ、そうした事がより良い日本を、そして未来を約束する、そしてそのためには様々な意見を持つ国民個人が、既存の思想、また宗教の枠にとらわれず、憲法を変えるためには同じテーブルにつく必要がある、これを訴えなければなりません。
 憲法論議は盛んにおこなわれていますが、現在の日本では仲間内だけの、また特化した問題だけのものに過ぎません。しかしもし憲法を変えるのならば、それは国民投票による選択と決定が必要である以上、まずは「どう憲法を変えるか」というところにスタンスを置くのではなく、「憲法を変える」という決意で国民一体とならなければなりません。日本の将来を考えると様々な方法論が、保守にも、革新にも存在するはずです。しかし将来の事を正確に知り得ない私たちは、その方法がどのような結果を生むかわからない、だからこそ話しあい、多数者の覚悟と責任を、またどれぐらいの人間が不満に思っているのかを投票によって明確にする、少数者の権力のみによって政治を動かすのではなく、主権者として国民が政治に参加する、このダイナミズムこそ民主主義なのではないでしょうか。もっとも恒常的にこうした選択をおこなうべきではないのですが、その事案が国民の生活に大きな影響を及ぼす場合、また国家の明確な範囲である憲法にたいしては、私たち自身で選択をおこなわなければならないと思います。

 こうした事を訴えるため、私は私なりに国家とは、政治とは、法とは何かを考え、それはいまだ未完の「時代は変わる」に記してきましたが、私の思想はあまりにも広範囲であり、しかもそれが互いにリンクしているため、手短に説明するのが難しい現状です。こうした苦しさは、きょうのわたしの演説にも表れています。

 他者に理解をしてもらいたい時、手短に、簡潔である事は必須です。そしてそのためには、今、常識とされている事をわざわざ説明する必要はないのですが、しかし私はこうした常識を見直す事が現在の日本には必要なのではないかと痛感しています。そしてそれを訴えると、手短に、簡潔には出来なくなる、ジレンマです。

 

憲法を変えるため、どうすれば良いのか・1・2期に分かれる運動(2)


また、憲法を改めるための投票を全ての国民がおこなう事にすれば、そこに公論は間違いなく喚起される。多くのメディアはこの投票に対して情報を発信するであろうし、また私たち自身投票しなければならないと知らされれば、そしてそれがどのように大切な事だと知れば、誰もが他者の意見を聴き、自己の意志をまとめる事になるだろう。そしてそれを選択肢に反映する事で、それは最良の結果を生み出すと私は信じる。
前期の運動によって日本国憲法から新しい憲法への移行が決定すれば、次の制定運動は様々な理想や願望によって、その案は多様的に提出される事になるだろう。ただ、それを受け止める機関がなければ、ただの混乱となり、結局は強大な党派、もしくは人物によって「与えられたもの」になりかねない。私は国民自身の選択によって新たな憲法を制定したいと望む以上、それだけは避けたいと思っている。
ではどのようにすべきか。まずは公的機関として、立法府である国会の傘下に「憲法制定準備局」ないし、「憲法案審議局」などのようなものを設けるべきであると思う。国民、議員、または各政党から多くの新憲法に対する草案は出されると思うが、それを取りまとめるところは必要となる。このような審議局がなぜ行政ではなく立法府である議会傘下におかれるのかは、それは立法行為そのものが議会が持つ独立した権限であり、国民の意見が原則として議員を通じて提出される以上、それを取りまとめる機関は議会へと帰結するはずである。しかし、現在の議員は党派によって強力な拘束を受けている以上、自身の党派に属さない国民の意見を素直に上げるかどうかは疑問があり、この運動は全ての国民によるものである以上、党派に左右されない中立的な機関が必要となる。それゆえに、この機関では、意見を議員からの提出と制限するのではなく、広義にわたって行うべきである。ただ、これらの意見の集約に多くの時間をかければ、その数だけが増え続け、取りまとめるのは難しくなるため、期限を半年ぐらいに区切ることは必要であると私は思う。
このような意見の集約機関において、まずなすべき事は、提出された意見を大別する事にあるだろう。それは憲法における各テーマ別、例えば日本国憲法で言えば、「天皇」、「国民の権利、義務」などのように、大まかなテーマに意見を分別することが必要となる。ただ、このテーマをどう決定すべきか、それは難しい事であるが、機関において集約された意見、またそのテーマの分別は、それが憲法の構成へと直結するわけではないし、各国家の憲法をみれば、そのテーマの分別方法も様々であり、特に定まったものはない以上、それを決定であるとしてはならない。それ故に憲法におけるテーマの分別も、国会において審議し決定するのが最良であると私は思う。全ての決定を国会に委ねることは、現在の政治家不信の私たちにとって納得できないことかもしれないが、しかし彼ら議員は私たちが選択するのであり、私たちは投票行為という単純な選択力のみに頼るのではなく、その候補者から私たちは積極的に参与する事で、国会、また議員に対する認識は変わるはずである。誰もが自国の事を考え、その良心によって積極性を発揮すれば、宗教勢力による勧誘など恐るるに足らないし、そのような狭義の国民しか考えない勢力を駆逐する事は可能である。国会はあくまでも全ての国民のものであり、一部の勢力の権力顕現の場ではないし、そのような勢力の助長を許してはならない。それがゆえに私は、党派や集団による議員の意志や発言への拘束は認めたくないのである。議員が国民に選ばれ、その意志を素直に発揮し、政党が議員を製造するのではなく、議員がその意志によって集まり、それが正当となるのが本筋なのであり、その観点から見れば、現在の政党は、その助成金などをみても単なる特権の持続であるにすぎない。そしてその正常な議員の意志が多数決によって決定することこそ、民主主義が制度として最良のものであり、効率的である理由となるのである。

2012年3月23日金曜日

街頭演説 3月22日

 昨日は会社帰り、そのまま駅のデッキ上でおこないました。
 所要があったため、17時30分から7時まで、4回程しか演説を出来ませんでしたが、先日よりは幾分かましなものになってきているとは思います。しかしまだまだ精進は必要です。
 私自身、憲法と国家を考える時、様々な問題に繋がりを求めて考えるため、また根源的なものを追求するため、どうしても訴えたい事が頭の中で錯綜します。メモなどで話したい要点をまとめているのですが、ついついアドリブになってしまう。とは言え、アドリブでないと何となく気持ちが伝わらないので、難しいところです。

2012年3月20日火曜日

憲法を変えるため、どうすれば良いのか・1・2期に分かれる運動(1)


憲法を新たに制定するためには、一人の力ではなく、主権者である国民全ての力が必要となる。
しかしその運動が日常を混乱させ、国家の秩序を乱すものであれば、それは私たちの現在を破壊しかねないものとなる。よって私はこの部において憲法を新たに制定するための運動方法と、そのルールを提示して行きたい。
憲法を新たに制定するための運動は、2期に分けるのが最も最適であろう。1つは現在の日本国憲法を改正、もしくは廃するための運動であり、そしてそれが実現すれば、次に新たな憲法を制定するための運動が始まる。
現在の日本国憲法の改正、もしくは廃止の運動は、新たな憲法がどのようなものであり、どのようなものにしなければならないという主張を抜きにして、ただ現状を変えるべきであるという意志によって行わなければならない。もし、新たな憲法が制定できるのならば、それに対する理想や意見、また欲求や願望を持つ者は多いだろうが、それは変更の決定後の話であり、その前提となる運動は大同団結して行うべきである。それは保守、革新、右派、左派問わず、新たな憲法に理想を抱く者全てで行うべきであり、そしてそれは国民全体で決定するべきである。
現在の日本の制度において、投票行為、また結果はその数字や率による制限を受けない。市町村の選挙においては、その人口に対比すれば、全くの少数で当選するという事実があるが、憲法という国家全体の基準であり、全ての国民への強制力に対しては、全ての有権者の選択が必要となるため、その数や率の制限をおこなう、もしくは投票行為を強制とし棄権を認めないようにしなければならない。
確かに棄権や白票といったものも、個人の感情から発するものならば、それを意志として認めなければならない権利ではある。だが憲法という国家全体、共存社会全ての影響に対して、棄権をし、無視するという行為は許させるのだろうか、そこに良心は存在するのか、と考えれば、私はやはり認めるべきではないと思う。投票の棄権行為を考察すれば、それは思想的な結果であるというよりも、単に欲求による、例えば面倒くさい、関心が無い、などの結果である事も多く、私も以前はそのような人間の一人であった。そしてこのような動機であるならば、その行為は日本国憲法の条項にも反するといえるし、それは民主主義国民として、主権者としての義務を果たしていない行為とも言える。私たちがこの権利を手に入れたのは、敗戦という大きな事件によってからかも知れないが、しかしその権利によって私たちは大きな幸福を一時的にでも享受できたのであれば、そしてその幸福を未来へと持続させたいのならば、それに対して義務を果たさねばならないし、度々書き記してきたが、それらの義務の放棄が私たちの国家を停滞させてきたのならば、それは改めるべきではないだろうか。

2012年3月18日日曜日

街頭演説・3月17日

 昨日、はじめて街頭演説をおこないました。 想像以上にあがってしまい、最初の最初は自分でも何をしゃべっていたのかわからず、頭の中は真っ白。仕方なく、用意していた会報を見ながら、何とかたどたどしく5時まで続ける事が出来ました。
  演説の模様を、YouTubeで公開しました。ビデオカメラのバッテリーの事を考えていなかったため、最初の2回、とてもお話しになっていない演説しか撮る事が出来ませんでした。よろしければ、ぜひ御覧下さい。 
次回は22日木曜日、夕方6時から7時までの予定です。これも準備が出来るのなら、公開したいと思います。なにぶん会社帰りにおこなうので、どうなるかわかりませんが、応援よろしくお願いします。

2012年3月16日金曜日

明日は

 いよいよ新歩会、そして私自身、はじめての街頭演説をおこないます。
場所は相模大野駅北口デッキ下です。ちょうどエスカレーターを降りたところ、マクドナルドの前あたりでしょうか。時間は午後一時より五時までの間、3回ぐらいおこなう予定です。
当日は、新歩会会報「青海波」を配ります。お天気が雨の予定で残念なのですが、興味のある方は、ぜひ立ち寄って下さい。
街頭演説は、22日木曜日と24日の土曜日にもおこないます。
今までは、机上で持論を展開してきましたが、志操に覚悟が決まった今、自主憲法制定を目指して、一歩づつ歩みはじめます。民主主義国家は、多くの人間が、自由に意見を言う機会を認められています。そして国民からでた様々な意見を討議し、それを多数決によって選択する、これこそが良き国家を築く方法なのではないでしょうか。
ただ、現在の日本において、実際にこの様な活動を行う人間を異端視し、蔑視する残念な傾向があるのも確かです。高齢者にとって見れば、若い人間が何を言うのか、といっても私自身もうすぐ40歳ですが、名のでしょうが、しかし国家は国民の集合体であり、また高齢者が若き人間に良識や良心を教え、次代の人間を信用し引き立てていけば、日本は現在、ここまでの状態にはならなかったのではと思います。単純に若い人間を避難する人が多いですが、しかし若い人間にも、国家の事を真剣に考えた上での意見を持つ人もいますし、そういう人達をもっと表舞台に出さねば、日本の将来は誰が牽引してゆくのでしょう。これからも、政党が生み、育てた人間を、政治家として崇めなければならないのでしょうか。もう、随分私たちは、学歴など「資格のある」人間に政治を任せてきましたが、現在の日本はどうでしょうか。私はおそらく、本当に理解してもらえるもでは、受け入れられないでしょうが、しかし実際に声を上げなければ伝わらないですし、一人でも多くの人に、何か残せれば、次代に日本を繋げる事が出来る、そう信じて行動してゆきます。
どうぞ皆様、よろしくお願いします。

2012年3月13日火曜日

新歩するために(4)


では、その国家像はどのようなものとなるのか。国家に属する各個人が多様的な欲求を持ち、そしてそれを実現しようとしているからこそ、それを適度に抑える共通の基準を作り、そしてその基準の維持、そして改正に国民が参加することによって、有る程度の、不完全な理想的な社会、国家を創れるはずであり、私の望む国家像はそのようなものでしかない。多くの人にとっては、より完全を、安定を目指したいため、このような答えに不満は抱くかも知れないが、しかしそれが完全であれば、国民の個性を認めず、均一化する強制を求めるようになり、それは国民の生への充実感を無視するようになる。あくまでも各個人の個性を尊重しながらも、しかし集団としての一線を作ることで、個人は国家という範囲に柔らかく包まれ、その母体の中で成長すればよいのではないだろうか。間違いを起さない国民はいないし、その間違えが故意によるものなのか、それとも偶然のものなのかによって私たちの態度も変わる以上、間違いを受け入れられない完全な国家は築けない。このような間違いを強権的に押さえ込もうとし、異端者を疎外する事は簡単であるが、しかしこのような間違いや異端者にこそ、国家や国民の抱える問題は浮かび上がるのであり、その解決が成長へと繋がるのならば、それを押し込め、封じる事は、国家を停滞から滅亡へと招く要因となる。戦前の日本のたどった道は、ある種の典型であり、当然の帰結であるといえなくもない。それ故に私は国家は常に不完全であり、またそれを求めるのが最良であると信ずるし、それがゆえに国家の基準もまた恒久的なものではなく、絶えず変化を受け入れ、改正できるものにすべきであるとも思う。
私たちは、明るい将来や希望を夢見るのに、自身の力、過去の行為によってそれを恐れている。それは当然受け入れねばならないことだが、しかし私たちはその恐れを知っているからこそ、最良の選択を行え、また基準を作る事が出来るのではないだろうか。金や軍の力というものを、そしてそれに拠りすがってしまう自身の弱さを知っているからこそ、その抑止力を作れるのではないだろうか。そして一度自身で抑止力を、基準を定めれば、それに対しての意識は高まるであろう。それを世代ごとに見直し、変化を受け入れる事で、私たちの国家はより良い形で持続できるはずである。
そしてそれが護られるのは、法などの基準だけではなく、私たち自身の「良心」によってでもあることを忘れてはならない。実際に私たちが完全であると思っている現行法も不完全なものであり、その為に法の編み目を潜るような行為も後を絶えないし、法に明確に定められていない事象も起る。ただ、国法として憲法があるのなら、このような事象や行為の帰結は憲法によって判断することも可能ではあるし、またそれらに対応するのは法以上に私たちの良心にある事は言うまでもない。良心は、自身を保護するだけでなく、他者との共存の道を選択する心であり、しかしそれは私たち自身の個性を殺すものであってはならない。私たちは良心によって自身の中にある悪心をも飼いならし、その善悪のバランスを以て自己の行動を確立するが、この異なるバランスが個性となると私は思う。個性の違いとは、人がその時までに得た情報と良心との力加減の問題であり、それを規定することは難しい以上、それを細かい枠に治めるのは難しい。だが個性にある良心を発揮できる人間を育てられれば、それもまた理想的な国家を創りうる要因となるのである。国家を創るのは、基準だけでもなければ、良心だけでもない。その両方が整うことを私たちは目指さねばならない。
私たちは現在大きな岐路に立たされている。世界情勢をみても、そこに大きな変化が起こりつつあることを知ることが出来る。ただ、その変化を自己の手でおこなうか、他者によってなさせるかによって、その結果は大きく違い、私たちが自己の生存を持続させるために集団を形成しているのならば、私たち自身で変化を行うことが、それを護る最善の道であろう。そしてその変化の行く先を過去と結びつけてはならない。私たちは現在においてでも様々な間違いを侵し続け、それは将来においても当然行うことであり、未然に、完全に防ぐことなど不可能ごとである。将来のことを知る術が無い以上、現在に最善を尽くし、また将来に対して希望を持つことこそ、よき道を選べるのではないだろうか。それは車の運転と同じであり、進行方向を見据えてなければ安全な運転が出来ないのであり、いくら危険に注意しても、脇や後ろばかりを見ていればそれは危険行為であり、事故の引きがねとなるのである。「他人の気持ちがわからない」、「どうして自分のことを受け入れてくれないのか」などと悩む人間も同様であり、他人の気持ちなど、その他人しかわかることがなく、また自己の気持ちも他人が知りえることなどない。ただ、自身がまっすぐ前を向き歩き続ければ、そこに道はあるし、それでも事故は起こるのである。しかし、私たちはそれを乗り越えなければ前へと進めないだろう。それは日本も同様であり、いつまでも私たち自身の将来を、戦時中の日本、学生闘争時の思想行動と結びつけてはならず、それぞれが心の中にもつ信念を政治に参加させればよいのである。当然全てが受け入れられるわけではないし、実現するわけではないが、しかし私たちには機会がある以上、自己の主張を続ける事は可能であるし、また自己の主張の批判を受け入れることから成長が始まるのではないだろうか。そして私たちは、自己が、他者が、その生存の持続を願う間は、新歩しつづけなければならない。

2012年3月11日日曜日

新歩するために(3)


さらに言えば、そこには愛が無い。現在の国家批判者の多くは、自らが国家や国民に対して愛が無い事を誇らしく述べるが、では彼らは何を愛して批判するのだろうか。対象に対して愛が無い批判など、ただのぼやき、不満の露出、そしてそれは正道では自己の欲求が叶わぬため、間道から、搦手から、それを実現する方法としか思えない。つまり私は、現在の批判者の多くは、国家や国民の事を考えず、自己の事だけを考え批判をし、徒党を組んでいるようにしか見えず、そこに良心は存在するのかと疑問に思うのである。批判者の党派性、基地運動やボランティア、生活保護者の一部の動向は、まさしく自己の生活のために行われているのであり、そこに良心が無い事は否定できないはずである。
一方で無関心者達、これは選挙にも行かず、文句も、不平も言わず、ただその日その日を生きている者達だが、私は彼らに対して催促以外するつもりが無い。彼らの多くは、国家や国民、自由や権利というものがどのようなものか、与えられた情報以外では知らず、また自分の力などちっぽけなもので通用しないというあきらめから、無関心を選択するのであろう。彼らは自己の生活が安定していればそれで良く、それは自分の努力によってなされると考えているため周囲に無関心でいられるのかも知れないが、もしそうだとしたら、それは思い違いである事ははっきり述べておきたい。私は個人の努力を否定するつもりもないし、非難するつもりもないが、しかし社会は見えざる手によって他者と繋がっているからこそ成立しているのであり、その社会の中で生活しているのならば、自分一人の力で何かができる事など無いのである。私たちには自由や権利があるが、しかしそれは全体の中の一個人であるからこそ、それが保障されるのであり、この全体、つまり国家などの共存社会が消えうせれば、そんなものなくなってしまう。現在の日本において、どんなに個人が頑張っても、一向に先に進める気分になれないのは、その力が各個人にしか働かないため、その力の総和としての国家としての動きが無いからである。そしてそれは多くの無関心者達によって引き止められている。私はこの無関心者達が、その持つ力のうち、ほんのわずかでも政治に捧げ、社会の力を信じてくれたら国家は変わると信ずる。ただ、私は変化によって国家がより良くなるのか、特に短期的には保障できないため、無理にとは言えないし考えを押し付けるつもりもない。だが彼らが良心を持ち、その総和によって国家を変えようとするならば、それは決して間違った方向に、悪しき方向には行かない事だけは断言したい。そして、それをより確実な、成長の方向へと向けたいのならば、私たちは民主主義国家の国民として、義務を果たし、様々な事に関心を持ち知らねばならないのである。このように単純に互いを知る事によって、また国家を愛し他の国民を信頼する事によって、より良い国家に向かう事が出来るのではないだろうか。

2012年3月7日水曜日

新歩する為に(2)


戦前の日本においても制限付きながら民主主義制度が存在していたが、敗戦まで為政者による国家の動向に右へ倣えだった理由は、国民が民主主義そのものを十分に理解せず、その選択が常に与えられた情報を基とした判断であったからであり、彼らには「信じる」ことしか出来なかったからである。政府や軍は自分たちに有利な情報を与え、メディアはそれを後押し、官憲はそれに目を光らす。現在のように視覚を多いに活用できるテレビなどの情報媒体もなければ、目の前で起こっていることを瞬時に伝えられるインターネットなどもない時代、国民は与えられた情報を信ずるほかなかったであろう。また、それを信じなければ投獄されるなどの情報を聞けば、誰もが自分の意志や疑問を素直に伝えることに慎重になり、さらには初等教育より思想的な強制がすり込まれれば、自己の安定のためには他者を排除することを容認する国民が生まれても当然である。ただ、このような排除はドイツであり、ソ連であり、また自由の国アメリカにおいても「排日移民法」が存在し、黒人などの異人種に対して差別があったことを考えれば、単純に日本だけを非難することは出来ず、繰り返される人間の所業の一種であり、当時の日本人が悪意に満ちた民族であると決めつけることはできない。しかし、私たちは戦争で負けた以上、またそのような無謀な戦争を引き起こした以上、そのような愚かな行為をおこなう人間の罪を一身に引き受けねばならず、それがゆえにぬぐい去れない印象がいつまでも続くであろう。
自己を守るために自己の意志を述べず、意志を表した者の動向を見て、その見えざる多数決の判断によって行動する。いわゆる「空気を読む」という事だが、このような国民の行き着くところは、互いに信ぜず、公に認められた意志に従うだけで、そこに異論を含む者、意志に反する者に対して、自己の持つ本当の意志とは関係なくそれを排除する行為となる。自分の意志を述べられない国家は、そこに互いを観察し合う猜疑心が生まれる以上、国民の良心を失わせ、その和の力は弱くなる結果を産む。一方通行の情報流通はまさしく日本人をこのような国民へと導いてしまったが、現在の、双方向の民主主義国家の日本ならば、本来ならそのような方向に進む可能性は低いはずである。私たちは他者に危害を加えたり、損害や不快を与えない限り、その言論や表現を公的に規制はされないし、そのような法律も存在しない。そしてその溢れる情報の中で、一人一人が自分の意志を作り上げ、それを話し合いや討論によってより深化させ、選択肢を作り、最良の答えを多数決によって導き出せるのならば、私たちは二度と、国際社会の中で自己中心的な、間違った道には進まないはずである。ただ、現在の私たちの状況を見れば、再び一方通行の情報流通に立ち戻ろうとしている節があり、誰もが積極的に自己の政治的意志を述べようとしないため、疑心や不信、排除性が生まれてきているのも確かである。そしてこれが、日本という国家が過去に立ち戻る不安を想像させるのを、私には否定する事は出来ないが、現在は過去の日本のように国民の選択の幅が狭い訳でなく、国民が積極的になればその力も発揮しやすい基準が定められているのならば、自己回復の余地はあるはずだし、新歩の可能性や機会もあるはずである。
現在の日本に対する批判者は、戦前や戦時中の日本人の所業によって、そして特に現在の日本の中核をなす「団塊の世代」は学生闘争などの政治運動での経験によって、また普段の経済活動の中で、国家という集団を、そしてそれに属する国民を信じなくなってしまったといえよう。しかし私たちがなぜ国家を創ったのかを考え、また現在の多くの批判者達、無関心者達も国家に属し、その恩恵を受けているのであれば、国家という集団は私たちの生存の持続に対して、必要不可欠なものであることが理解できるはずである。国家や政府、そしてその政策を、また国民それぞれの奢侈や欲求、生活態度を批判する事は大いに結構な事であり、この批判がなければ国家は健全なものになりえない。批判がなければ問題は浮かび上がらないし、多様的な見方による批判があれば、その問題の解決はより多くの選択肢から選ぶ事が出来、それが最良である確率も高まる。それ故に私は批判自体を否定しないし、現に私がおこなっている事も批判である。ただ、私は批判が自分たちの属する集団を、そしてその構成する各個人を受け入れず、信ぜず、そしてそれは未来へ向かって拘束し、その進む道を疎外している事に我慢がならず、そのような彼らを私は批判したい。

2012年3月5日月曜日

「新歩」する為に(1)


ここまで長々と、日本国憲法を変え、新たな憲法を国民の手によって制定しなければならないことを論じてきた。ただ、この拙い論述をたとえ理解してくれる人がいても、理想論以上の大きな壁が立ちふさがり、それによって論以上の領域をでない、つまりは行動へと一歩踏み出す事が出来ないかも知れない。その動機こそ、今までの改憲論に対する攻撃の核心となるものであり、それが常に論以上に進まなかった理由、すなわち「憲法を変える事で戦前の日本に逆戻りしないか」という不安である。そしてこれがために、私たちは新たに歩む事、すなわち「新歩」することが出来ないでいる。
改憲論議の主題となるものは、現在の日本の最重要課題である国債などの財政問題よりも、安全保障、すなわち軍という力の保有の問題や愛国心や社会保障、国民道徳などが多い。日本国憲法を変えるべき理由は、実に多くあるのだが、しかし改憲論議を、時には論議にすらならなくさせるためには、ただ一点のことを国民に訴えればよい。それはこれらのことを憲法で定めれば、間違いなく戦前の日本へと逆戻りし、私たちの自由や平和、様々な権利が、一瞬にして失われるという不安である。これはまさしく現在の日本人の精神の奥底に刺さったトゲであり、私たちの新歩を停止させるほどの力を持つものだが、それはもちろん歴史的な事実によるものであり、現在、また将来においても背負わなければならないものならば、それを意識せずにはいられない事は確かである。しかしこの歴史的事実と、私たちがこれからおこなう選択とは、直接的な関わりは何もなく、憲法を変える事で日本が戦前に立ち戻るという事は、憲法を変える事で日本が成長するという単純な結論と同様に、何の根拠もなく、誰も私たちがどのような選択をし、その結果がどうなるかを類推以上に知ることは出来ないはずである。
日本が戦前、戦時中におこなった、植民地政策や数々の自由の封鎖、弾圧は、その当時の世界的な諸事情が背景にあるとはいえ、それが極めて悪意に満ち、独善的であったことは否定できない。なるほど、日本の植民地政策によって多くの国家に文化や技術、社会整備がおこなわれた事は認めねばならない。しかしそれは良心的なものを動機とした、その地域にいる人達の事を考えた上での事であろうか、もしそうならば、なぜあれほどの抑圧が行われ、自治は認められなかったのか。ここに答えはあるはずであり、それを知れば知るほど、私たちは国家という集団とその持つ力に、不信や不安を抱くのも仕方がない。
植民地、また占領地域政策に、どんなに高邁な理想を掲げていても、それは日本国民だけの、さらにいえば、その中のたった一部の人間の欲求や安定を叶えるためだけの所業であり、それがゆえに徹底的な強制と弾圧が連鎖的に行われたのは事実として記録されている。その構造は、将官から厳重注意を受けた佐官が下士官を殴り、その下士官が兵隊を殴り、兵隊はその中でも弱き者ををいじめ、虐げる連鎖した行為であり、それはそのまま為政者、国民、植民地、外国人へと置き換える事が出来る。そして国民を含め、日本の支配地域においては、誰もが与えられた情報に対して疑問を持つ事は許されなかったことは、この行為を大きく助長した事は間違いない。そういった観点から見れば、一般の日本国民はただ言いなりになっていただけであり、その国民性による行為でなかったといえるかも知れないが、しかし行為が事実として残り、それが歴史に刻まれている以上、それがどのような理由であろうとも過去の選択は否定できず、その日本人と同じ血を引き遺伝的なつながりを持つ私たちに、同じような繰り返しを行う不安をぬぐい去れない事は確かかも知れないし、外国人がその印象を持って私たちを見続ける事をやめさせる事は不可能である。

2012年3月2日金曜日

平和的な変化を求めて(4)


先の章でも述べたが、私たちは民主主義、また国家ということに対して、今まで「与えられ」続けてきたせいか、あまりにも無知である。そして無知であるからこそ、権利などは自己のためのものと思い、良心を失いかけている。しかし個人の自由や権利、保障などは、日本という国家あってのものだということを忘れてはならない。そして国家という共存社会を持続させることが、最小限の代償により変化を受け入れる事が出来、そしてそれこそが自己の生存の確保であることを忘れてはならない。自己の欲求の限りない追及は、その属する共存社会の強弱次第なのであり、社会が弱小であれば、自己の欲求のかなう程度もたがが知れている。そしてそのような脆弱な社会の中で、自己の欲求を大きく達成させようとしても、国民誰もが主権者として同じように求めるならば、それは必然的に潰し合いとなる。昨今の政治、経済、また文化において、どれだけ長く息をし続ける人間がいるであろうか。牽引者となるべき人間は、芽のうちに潰されるだろうし、もしそのような志を持つ人間でも、長いものに巻かれている間にそれを忘れ去ってしまう。そのような国家が果たして強く、成長できるのだろうか。
このようにして小さくなった力を補う結果が、現在の日本では将来への借金、すなわち国債なのである。以前の専制者などから見れば、私たちの安定という欲求は小さなものだろうが、しかし主権者としてそれを誰もが願うならば、その和はとてつもなく大きい。自分たちの力で返せないほどの借金を背負い込む、その欲求の巨大さに私たち一人一人が気付かねばならないのだが、私たちの無知はそれに気付かずにおり、今尚それに頼ろうとしている。ゆえに私はこの稿を書き、国民の感情を喚起したいのである。これを読み、怒り、嘆き、笑い、嘲りなどの様々な感情が起こるだろう。私はそれらの感情を説得したいのではなく、むしろどうしてそのような感情が自己に沸き起こるのか、考えて欲しいだけである。そしてそれを他者と話しあい、様々な納得が次第に寄り集まる事で大きな力となり、その先の変化を突破できるはずである。現在の日本から恩恵を受けているもの、また変化を自らの手で引き寄せたいもの、現状の不満を変化によって転化させたいもの、それら全ての国民が主権者として未来を考えることで、血を流さず、暴力を排除して、ただ言論によって、時代を変える事が出来る、そう私は信じている。
私たちは既に民主主義国家の国民として、その方法論を良く知っているはずである。ロシア、リビア、エジプト、その他様々な国でも、変化に際して様々な混乱があり、それは連日伝えられている。しかしこれらの国家の国民が、果たして民主主義国家の国民なとしての姿なのか、その為政者たちは民主主義国家の国民として適当であったのか、専制的な方向に偏っていたのではないだろうか、そう考えると現在の日本は、まだ、民主主義的な国家であるといえよう。言論が解放され、それが国民の政治的意識を目覚めさせれば、誰もが国民を信じようとし、また自国の方向を真剣に考えるはずである。そしてそれこそが、混乱の無い変化の受容と更なる成長を約束する。私たち自身を信じ、多数決の力を信じ、労働すべき時間は労働を行ない、自己の時間は自己の時間としてすごす。ただ、その空いた時間のほんの一部を共存社会のために割き、話し合いをおこなえば、互いに情報を「与え」「与えられ」ればよいのであり、国家の変革にストライキをおこす必要も、投石をする必要も、他者に強要する事も、軍が出動する必要もない。最もそれは現在の為政者次第とも言えるかも知れないが、私たちが良識をもって為政者たちを、その候補者から選択まで真摯に取り組めば、為政者を疑う必要はないはずである。それが惰性で行われているからこそ、為政者を信じられないのである。平和的に変化を受け入れるためには、私たち自身、良識とバランスをもって、政治に参加すれば良いのであり、それこそが理想であるといえる。その決定がどのように転ぶかは歴史によってわかるのであり、納得によって行われた選択は、目先の損得に惑わされる事ないであろう。
そしてその旗印として、私はまず日本は憲法を変え、変化を受け入れる第一歩としなければならない、そう思っている。変化の代償や負担がどこかに一方的に偏るのではなく、また我慢を強要される訳でもなく、不当に財産を奪われるような事が無いためにも、そして国際社会の不安や不満を跳ね返すためにも、私たち国民は自身で民主主義国家国民として脱皮しなければならないのである。

2012年2月29日水曜日

平和的な変化を求めて(3)


しかし何よりも寛容さや平静さなどの魅力、特に良心的なものこそ、他のどんな力よりも勝る事は言うまでもない。このような能力を持つ王が国家を治めれば、国民はその王に対して自然と敬意を払い、そこに国家の秩序と安定が、そしてそれを土台とした国家の成長と豊かさがついてくる。それ故に民主主義ではなくとも、理想的な国家は叶えられることである。しかしその持続が短期であり、不安定なものである事は前章で述べた。しかし民主主義国家においても、為政者を「与える者」として考えれば、それは専制政治の王や皇帝、貴族と同じであり、民主主義下においてもその指導者のリーダーシップを説くのに、専制国家の王や皇帝、将軍を引き合いに出すことがあるのは、情報を「与える」側の人間の役割は、政治制度とは関係ないことを表している。ただ、民主主義国家と専制国家では、専制国家は国家の安定イコール専制者の安定となり、それがゆえに世襲や身分が認められ、民主主義国家では為政者の地位保全と彼の地位持続とは無関係であり、世襲の自動性は認められず、身分も原則的には存在しない。人間がその持つ欲求によって絶えず変化を起こすのならば、自動的な世襲や身分といったものによる安定は変化を阻害するものであり、その押しやられた変化の蓄積は、やがて堰を切ったように安定を押し流し、それは戦乱や混乱によって消化される。しかし民主主義国家は誰もが王になる機会を持ち、また王を選ぶことが出来るため、変化を受け入れるのには国民が王となる人間を、国法に従った方法で平和的に選択するだけで済むのである。それゆえに民主主義国家は、変化を受容し、国民の幸福を求め続けるには最良の政体であるはずなのである。
ところが、どの民主国家を見ても、現状ではこのような理想的な状況とはいえない。その理由として多くを上げる事は出来ようが、きりが無いので、その本質だけを述べれば、やはりそれは現状の安定を求めるが故の変化の蓄積である。この誰もが知らず知らずのうちに抱く欲求は、とても厄介な代物であり、またそれを押しとどめることは難しい。誰もが自分の若さを維持し続けたいように、自分の頑健な肉体をその死まで持続させたいように、そのような安定の欲求は、変化に対する抵抗なのである。多くの国民がそれを望めば、つまり自分の権勢、自分の立場や権利、保障、さらには自分の生活をも安定させたいと思えば、それは国家的な変化に対しての抵抗になる。それがゆえに民主主義国家においても、その指導的な立場に一度身を置いたもの、そこで成功を収めたものは、次代の成功者によって変化が起こり、自己の立場を覆さないように、かつての専制君主がおこなったのと同じ手法で身を守ろうとする。それは自己の立場を護るため味方を多く作り、また生活を持続できるように財をため、その死まで自己の思い通り行くように子供までをも管理する、そのような自己安定の持続のための、当たり前とされる様々な手段が、民主主義国家を民主主義国家たらしめなくするのであり、かつての専制国家同様、変化に対して堰を作り、知らず知らずのうちに貯めているのである。現在の日本はそれが決壊寸前であり、決壊を防ぐためには私たち自身で堰を開け、変化を放出しなければならない。そしてその流れを管理するためにも、私たち自身の手で、その流す量、流れる道筋を決定するため、基準を作らねばならぬのである。
ただ、一度安定に根ざした人間は、変化を行わせまいと全力で守り通そうとするし、立場を維持するためにどんな力でも利用しようとする。そのような人間にとって、私がこの稿を書く事も迷惑千万なことであり、有害なものと見なすであろう。ただ、よく考えてもらいたいのは、現在のままでは確実に日本には大きな変化が訪れる。そしてこれが「与えられた」変化であれば、敗戦の時の公職追放や農地改革同様に、現在の日本から恩恵を受けているものに対しての攻撃は「与えられる」だろう。自己の安定を護るためには、その攻撃者を味方にすべく、幾ばくかを捧げればよいと思っているかもしれないが、その攻撃者を納得するだけのものを捧げられるのはごく一部の人間だけであるし、過去の占領されし国民がどのような待遇であったかを考えると、攻撃者の保護など全く当てにならないものである。このことは、日本が朝鮮半島や中国においてどのような植民地政策を行ったのかを知れば、おのずとわかるであろうし、アメリカ人が日本で、また沖縄で、そしてシベリアにおいてロシア人が日本兵士をどのような境遇に置いたのかに、その答えは現れている。占領者など、どの国民もその行動は変わらない。ただ、自分たちのために、有利に占領国とその国民を使い果たすだけである。ましてや日本国債の最大の保有者が中国になれば、彼らは前の戦争によって受けた被害をも上乗せして、日本から収奪するであろう。日本など天災多く、国土も狭く、かつて「黄金の国ジパング」として栄えた資源も、今はそれほど期待できないのなら占領する価値はそれほどない。アメリカにとって、日本は橋頭堡になりえるだろうが、中国やロシアにとってみれば、無価値な国家に等しいかもしれない。ただ、現在残されている財を収奪すればそれで事足りるのである。もしかしたら溢れ続ける中国人民を受け入れるための国家へとなり下がるやも知れぬ。それを考えると「与えられる」変化によって、現在の日本から恩恵を受けている人たちの安定は確保されるのか疑問ではある。

2012年2月27日月曜日

新歩会 3月演説会


相模原市南警察署より「道路使用許可」をいただきました。
新歩会、私自身も初の街頭演説です。
[日時]
3月17日(土)13時から17時まで 相模大野駅北口デッキ下(おそらくマックの前かカラオケ館の前あたりになります)
3月22日(木)17時から20時まで 相模大野駅北口デッキ上
3月24日(土)13時から17時まで 相模大野駅北口デッキ上
*木曜日は17時まで仕事のため、開始時間が遅れます
*土曜日は休憩を挟みながら3回ぐらい演説をおこなうつもりです。ただ時間より前に終わるかも知れません。
*演説の日は、新歩会会報「青海波」を配ります。自作なので不出来なものですが、公開も考えていません。4月には新しい会報を作成し、配る予定です。

[道路使用許可取得について]相模原市の場合
1・道路使用許可は、申請書だけを出しても下りません。使用する場所の地図(Googleマップでもよい)、また配布物があるのなら、それらを各2部ずつ添付しなければなりません。
2・1回の申請で、同一箇所を1週間使用することが出来ます。複数個所で行う場合は、その箇所分、申請書を出さねばなりません。また、使用時間などについてはあらかじめ申請書に記載しなければなりません。相模大野駅北口デッキ上などは申請が多いため、「同一時間に2組まで」というルールがあります。先約順です。
3・道路使用許可は、所管の警察署だけで受け付けています。例えば相模大野駅の場合は相模原市南警察署であり、JR相模原駅の場合は相模原警察署となります。この点はいささか不便に感じるところです。
4・許可申請のために、2000円かかります。証紙は県の発行するものなので、警察署で購入するのが無難でしょう。私は焦って、収入印紙をコンビニで購入しました。もちろん受け取ってもらえません。(笑)
5・のぼりや旗、掲示物などを使用する場合、自分でそれを「ずっと持っている」のならば申請の必要はありません。固定しておいておく場合、さらに道路保有者への申請が必要だそうです。
6・申請は、当然の事ながら平日の17時までです。代理でも可能です。ただ、申請は本人がおこなった方が、色々な質問もあるので無難です。この点も、もう少し融通が聞くようになればと思います。

今回体験して一番感じたのは、やはり政治への敷居は高いということです。平日に仕事をしている人間は、計画を練ってチャンスをつかまなければ、申請をおこなうことすら出来ません。私は普段、相模大野駅まで徒歩ですが、今回は何日か自転車を駐輪場に置き、早く帰れる機会を逃さず、それでも締め切り5分前の到着でした。また1箇所2000円名ので、複数箇所を行う場合はその分払わなければならず、それを考えると政治に金がかかるのはうなずけますし、国民の政治参加も自主的なものでなくなるでしょう。こうした制度の面も、もう少し考えてゆかなければなりません。

2012年2月25日土曜日

平和的な変化を求めて(2)


ではこれらの国民はどのように争うのかといえば、かつては血と破壊を伴った争いであることはいうまでもない。ごく一部の人間が、専制者として政治権力を握っていた時代は、その専制者の交替こそが時代の変化だったが、その変化を促すためには、専制者と同じだけの力を持つか、もしくは専制者の持つ力を削り取るしかない。専制者が持つ軍の力と同等の力を集め、戦いによって専制者側の力を削り取る、それが基も単純で、誰もが納得でき、わかりやすい変化の受容方法であった。しかし、このような方法はその力を集める指導者を新たな専制者としなければならないし、その交替には、全く力を持たない国民の生活を破壊することが含まれる。確かに専制者が変われば新たな黄金時代を築く可能性もあるが、そのための犠牲は少なくなく、さらにはそのような時代が来るとも限らず、一度始まった混乱が何世代にわたって続くこともあり、それはだれにも予想できない。ある人間が99%まで勝利を収めても、たった一度の戦で形勢が逆転することもあれば、もしくはその勝利者が死去し、元の木阿弥になることもあるのである。そしてまた、一度力による交替を味わえば、それに誰もが飽きるまで繰り返される。それを現在の私たちは「娯楽」として、小説やドラマ、ゲーム、アニメなどで扱うが、当事者達にとってみれば、誰もが早く「自分の手」で終わらせたいと思っていたに違いないし、「与えられる」国民にとってみれば、長く続く混乱はただ迷惑なものに過ぎなかった。
中国のような一度混乱が収まれば長く王朝が続く国とは違い、ヨーロッパは狭い国土の中で小さな国家が寄り添い、その中で常に争いが繰り返されてきた。ヨーロッパ史において戦争の無かった時期などあるのだろうか。その争いに飽き、またそれを変えるべく思索を巡らした人間によって、民主主義は誕生した。民主主義の素晴らしい点は大きく2つある。それは国民が主権者であるのなら、誰もが国家において様々な機会を平等に与えられること。そして国家内における変化を国民自身の力によって選択することが出来、なおかつそれが多数決の原則によって、血を流し破壊を伴わずに済むことである。民主主義国家の原則は、憲法などの法によって定められており、そしてその法に対しても国民は様々な意見を出し、また改廃することが出来る力を持っている。それゆえに、民主主義国家の国民が真に自分の役割を認識していれば、言論以上の争いは起こらないはずである。
このように誰もが平等に機会を持っているのなら、それはかつてのように誰もが王になる機会を持っているともいえる。しかし王権を維持するのには、力を保つだけの才能が必要となり、過去において王権を手放さざるを得なかった者は、みなその力が無かったからである。ではその力とは何かといえば、どれだけ国民を納得させ、引き寄せることが出来るか、いわゆる求心力である。直接的な力である兵を集めるには将軍としての才能が必要であり、安定して税を国民に納めさせるには農工業に通じる博才が無ければならない。誰もが認める価値である金銭を多く持てば、それだけで簡単に引きつける事は出来る。






2012年2月22日水曜日

平和的な変化を求めて(1)


望もうが望むまいが、現在の日本の状況は、私たち国民に対して大きな変化を則し、その選択の時期は刻々と近づいている。もちろん、ここで変化を受け入れないという選択もあるが、将来へ多くの負債を築きあげ、また貨幣価値が国際間で連動しているのなら、国際社会のほうがそれを許さぬかもしれぬ。実際日本の通貨価値は、国際間の中では特異点であり、著しい不平等の中心であると思われても仕方がない。そしてもし通貨管理国にでもなれば、私たちが今、手にしている権利の恩恵は間違いなく消えうせるであろうし、食料を初めとする原材料を外国に依存している日本人にとって、通貨価値の崩壊はそれらの調達が難しくなることを意味する。軍事における中国や北朝鮮の脅威が話題に上り、確かにそれは否定できないが、しかし、私がこれらの国の指導者で日本を虜にしたいと思うならば、一兵も使う必要はない。ただ日本との貿易をストップさせる、もしくは日本よりも高い価値で外国から食料を買い、日本が手にする事が出来ないようにすれば、兵など使わなくともそれで事足りるのである。このような状況に陥ったとき、現在の日本人ならば我が身を守るために国家を分裂させることなど、いとも簡単に選択するであろう。どんな国家でも「与えて」くれるのなら、その有利な方を選択するかも知れないが、占領国がどのような待遇になるのかは、私たちは経験済であり、そして現在でもそれは経験中でもある。しかし私は日本を愛し、また自分たちの子孫のためにより良い日本へと成長させたいという願いがある以上、そのような状況に日本を陥れる選択だけは避けたい。そしてこのことは現在日本で生活する国民の、誰もが心の底で願うことではないだろうかと信じたい。ただ、そのためには、私たち自身で変化を受け入れ、現在よりも割り引いた生活を行わねばならないが、私たちが共に成長し、良心を発揮すれば、このような苦難はいとも簡単に乗り越えられるはずである。そして、変化を自ら受け入れるためにも、まず新たな基準を整え、それを私たち自身で制定する、つまりは憲法を改める、それこそが最良の選択であると考え私をこの稿を書いている。
とは言うものの、私たちに将来が見えない以上、変化をすんなりと受け入れる勇気はなかなか湧いてこない。苦境に立ち入っている人間ならばともかく、ある程度安定した生活を送っている人間には、変化とは現状を、自分の生活を破壊する恐怖が湧くはずである。一方で現在の日本の状況がわかっていれば、変化を受け入れることには賛成するが、それを現在自分が持つ力によって有利に引き寄せたいと思う人間もおり、彼らにとっては変化はただ自己を有利にするジャンプ台のようなものである。どの国家の歴史を見ても、変化を受け入れるには、苦境に立ち回復したい国民、安定を守り通そうとする国民、また変化を自分に有利な方へと引き寄せたい国民による争いは避けられないものになる。そしてその思惑と力加減から、歴史は常に全く違う答えを与えるのである。

2012年2月20日月曜日

国民の良心と政治意識の成長(9)


それが家族内において、また地域社会においてでも、そして国家という巨大な社会においてでも、現在の私たちは憲法によって十分な権利を与えられているが、私たちはそれを行使しているだろうか。もしくはそれを行使していたとしても、それが個人の望むものだけに限り、良心に準じて行使しているだろうか。それは例えば、国家の財政は、私たちが納める税からなる共有財産だが、それを自己の権勢のため、またはごく一部のもののために、さらには自己の生活を補うだけのために使用しているのではないだろうか。また私たちの代表者である議員は、候補者から選ぶだけではなく、私たち自身の中より候補者を出すことも出来るはずだが、そういったことに参加せず、ただ政党が出した候補者を選ぶだけで、自分たちの国家を、政治を、将来を、あきらめてはいないだろうか。そして私たちは自己のことだけを考え、他者のことを考えず、ただ決められた基準に従って、何事も行ない、その基準に対して何か疑問を呈したり、変えようとは思っていないのではないだろうか。もし、そう感じたならば、それは解放された権利を持つにもかかわらず、それを行使せず、かつての日本人のように、ただ与えられるがまま、成り行きに従っているに過ぎない。そしてそれは日本国憲法97条に記されている、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」を無にし、「侵すことの出来ない永久の権利として信託」されたものを拒絶しているに等しい。それは先に述べたように、日本が長きにわたって専制的な手法による政治がおこなわれ、なおかつ民主主義も「与えられた」ものに等しいことが原因であるかもしれないが、その与えられた基準ですらも、私たちのほとんどは理解していないと思う。なぜなら私たちは「自由」や「権利」、「国家」、「政治」、「平和」、などの言葉を、教科書や教師、メディアから与えられた情報を自分で考え、咀嚼したものにしているだろうか。おそらく誰もが、その与えられた情報をうなずくまま、考えないで多用しているとしか思えないし、そうでなければ、国家の沈滞はどこにでも起こりうるサイクルの一環ではあるが、ここまでひどい状態にはならないだろうと私は思う。
現在の日本の状況から新たに先に進むには、私たちの誰もが「与える」人として、また与えられた情報を「考える」人として、そして自己の欲求と良心と真摯に向き合った上で判断を下せる国民へと、私たちは変わらなければならない。それは現在の日本人の行動から考えると、非常に面倒くさいことかもしれないが、しかし私たちが主権者である以上、それを避けて通ることは許されず、避け続けた結果、現在の日本があることは既に述べた。ただ、国民が急激に変化することなどあり得ないし、国民が政治に参加するためには、現在以上の、何か求心的なものが必要であることも私は感じている。そしてその為に、私たちは、自身で新たに憲法を制定することが必要なのである。私たちは、その論議の場で、多くの多様的な考えにぶつかるであろう。多くの国民が全く違う立場で同じ目指すものについて論じるのである。そこには多くの正解があり、また間違いもあるに違いない。そしてその結果が将来に必ずしもいい影響を与えるとは限らない。しかし、私たちは与えられた憲法ではなく、日本の政治史上、初めて国民の手によって憲法を、新たな基準を制定できる機会をつかむのである。憲法は最高法規かもしれないが、法基準である以上、そこに恒久性はない。それゆえに、私たちが定める憲法に間違いが合ったとしても、将来の国民がまたそれを正せばよいのである。時代は変わり続けるし、それを拒絶することが出来ないのなら、そして私たちが将来に債務を負わせているのなら、将来の国民が私たちの定めた法基準を変えようとすることなど、何の罪もない行動である。累々と、負債を積み上げている現在の私たちこそが、罪人ではないだろうか。
そして憲法を国民で変える事は、民主主義国家の国民へとの目覚めに過ぎない。そこから先にわたって、私たちは政治について始終考え続けなければならない。自由や権利、平和や福祉などを何かの変化の度に考え、答えを出さなければならない以上、それは非常な労力でもある。しかし、それによって、私たちは理想的な国家を手にし、また理想的な国民へと進化することを私は信じる。そしてそれを願うがゆえに、この稿を書くのである。

2012年2月18日土曜日

国民の良心と政治意識の成長(8)


政治的な時間は無駄である、そう考える人も多いであろう。他者との意志疎通が自分の楽しみにしている時間を削れば、また自分に与えられた役割を妨げるのなら、他の3つの時間は自己の生存に必要と思えるが、政治的時間など必要ないと思えるかもしれない。それゆえに、他者との直接的な関係を避け、より広義の国家という共存体に援助を求め、それが国費を圧迫しているという現実がある。自分が困った時、まず何よりも自分の身の回りの人間と意志疎通を行ない、そこで理解を得、助けてもらうのが本道である。周りに理解者が、また助ける力のある人もいなければ、そこでさらに見知らぬ他者である、国家などの共存体に助けを求めるのならともかく、自己の事情を意志疎通によって訴えることを、その返答を恐れるため、もしくはただ単に自己の事情を知られたくなく、他者との繋がりをうっとうしく思うだけで、国家などに助力を請うのは、筋違いも甚だしく、それは自分一人で生きて行くための手段ではなく、自分勝手に生きる手段であるといっても過言ではないだろう。その反対に、助けを請う人に対して、よく意志疎通を行わないまま、それは甘えであるなどの判断を下し、遠ざけたり、疎外したりするのも、また自分勝手なものといえる。自分がもしも他の他者を必要とする時、彼らは他者を拒絶した自己の判断をどう思うのであろうか。健康であるうちは他者を必要とせずとも立てるかもしれないが、老、病、衰は人間の定めであり、避けることは出来ない。そしてそれを理解すれば、今自分で立てる人間でも、その時のために困った他者を拒絶することはないだろうし、他者との意志疎通を大切にするはずだ。
他者の気持ちをわかるという人がいるが、そんな人間などいない。私たちは他者の気持ちを推察するだけであり、他者の気持ちがわかるものは、その他者自身だけである。しかしそのわからない気持ちを表現するために言語が生まれ、それを使った意志疎通によってより推察はあたりやすくなったのである。そしてそのような関係によって集団は形成され、個人の生存が易くなったのならば、他者との意志の疎通は集団の関係における基礎であり、それが政治でもあるといえる。
では、このような意志の疎通は、ただ相手から「与えられるもの」だけなのかといえばそうではない。かつては身分や家父長制などによって、明確な法基準が無い代わりに、その集団の長たるものが基準であり、その意志によって集団が形作られたため、意志の疎通も一方的なものであった。しかしそのような与える者の一方的な意志は、その人間が善良なものならばともかく、自己のことしか考えない人間であれば、それは簡単に他者の抑圧へと転じる。それゆえに、歴史の流れの中で、それはだんだんと解放され、与える者の一方通行から、与える者と与える者同士の双方向によるものへとなった「はず」なのである。個人の尊重や、様々な権利の授与が法律で定められるようになったのは、限られた人間から「与えられる」だけの政治参加から、誰もが「与える」事の出来る機会を獲得した事である。ただ、これらの権利の獲得は、私たち自身が「与える者」にならなければ、その権利が無駄になるだけでなく、共存社会が機能しなくなる。
身分によって定められた「与える者」は、常に自己が与える者として認識することで、どのような理由であっても自己の意志を「与えられる者」に伝え、他者を使役することで共存社会を持続させていった。それが自己のことしか考えない命令であっても、与えられればそれが社会全体で実現される。その結果、共存社会が崩壊することもあるが、しかしその崩壊より新たな社会が芽生え、その繰り返しが歴史となる。このような関係が社会には常に存在する。それはなぜなら、無数の個人が社会を構成しているとしても、社会という集団になれば、それはひと括りに去れる。私たちの体は無数の細胞で構成されているが、それがからだとして一つの形成体になっていれば、そのからだの動く方向は一つしか選択できない。手は右に行くことを望み、足は左に行くことを望んでも、体として一つにまとまっている以上、体の行き先は各感覚から脳へと集められた情報を基に感情が決定する。社会もこれと同様に、その構成する私たちが様々なことを望んでも、その進む先は社会としてまとまっている以上、一つの提議に対して最終的には一つしか選択できないともいえる。ただ、体の進む先も決まった感覚のみで感情が決定すれば、それは間違った方向へ進むことになる。視覚だけでものを判断すれば欺かれることがあるように、私たちも全身の感覚から送られる情報を基に判断することで、様々な危険から逃れることが出来る。現代社会は、私たち一人一人が情報を送ることで、社会全体が危機に陥らないようにする機会があるのである。そして私たち自身の政治的参加がその機会になるのだが、私たちはどれぐらいそこに時間を費やしているだろうか。

2012年2月16日木曜日

国民の良心と政治意識の成長(7)


さて、敗戦によって私たちは旧来の政治体制は一気に変わったと学ぶ。しかし良く考えてみれば、現在に至るまで私たちは「与えられ」続けている。日本国憲法は確かに理想的な法ではあるが、しかしそれはアメリカの占領政策の一環であった事は、歴史的な史料も残る事実であるし、その当時の国民が憲法に対して国民としての大きな運動をおこなった事実はない。ごく一部の知識人達は、当然憲法の重大さを知るため、様々な意見書や起草案を提出したが、それがどれだけ現在の憲法に反映されただろうか。また、憲法公布前には、国民の信任を得るために選挙がおこなわれたが、食料不足の当時、明日を生きるのに必死な国民に、憲法についてどれだけ話題に上がったであろうか。そのように総合してみれば、やはり日本国憲法は「与えられたもの」であるといえる。
さらに現在の私たち国民が、「与えられたもの」になれきっているといいきれるのは、歴史から推察するだけでなく、現在の私たちの生活からも垣間見える。
少し唐突だが、私は人間がその行動時間を大別すれば四種類に分けられると考える。
一つは私生活の時間、これは自分の趣味や、楽しみ、また喜怒哀楽などの感情表現のための時間であり、もう一つは生命維持の時間、すなわち食べる、寝るなど、肉体を維持する事での生存の持続のための時間である。
残り二つの内、一つは価値獲得の時間である。これは経済的活動の時間といっても良い。私たちは共存する事で自己の生存を維持するが、その共存の手法は分業であり、各自が職分を果たし、それが他者のためになる仕事であって、初めて自らの価値を得られる。その価値は、現在は金銭としてまとめられているが、かつてはそれが衣食住やそれに準ずるものなどであり、それを獲得する事で自己の生存を維持できるのである。
そして最後に政治的時間がある。これは私たちが属する共存社会を持続させるために社会に参加する時間であるといってもよい。身近な家族や隣近所、また大きく国家などにおいて、自らが果たす役割を見つけ、それを行う事で、所属する共存社会がより持続し、またより良くなる。例えば、祭りに参加する事で、その共存社会の繁栄を祈り、かつ楽しみ、冠婚葬祭に協力する事で自らが繋がる他者との関係を再確認する、もちろん選挙の投票、町内会への参加など、政治的な行動いわれるもの全てがその時間に当てはまる。しかし、何よりも政治的な時間といえるのは、他者との意志疎通の時ではないだろうか。もちろんその意志疎通は一方通行ではない。それはどういうことかといえば、私たちは一人では生きて行けない以上、常に誰かの助けを必要としている。現代社会では、様々な技術やサービスシステムによって自分一人の力のみで生きて行けると思いがちだが、しかしその技術が、サービスが、誰によってなされているのかといえば、見知らぬ他者によってである。それゆえに私たちは一人で生きて行けるはずなど無いのである。大体私たち自身、父親と母親という他者によって生命を受け、成長するまでの間、様々な他者によって育てられているではないか。それを忘れ、自分一人の力で、何者も頼らずに生きて行くという心は、自分の才能を頼るという誇りよりは、他者を蔑視した傲慢な考えのほうが大きいと思う。私たちの望む権利や自由、平等といったものも、全て他者あってのものだが、私たちは今、どれだけその他者と、率先して関係を結び、意志疎通を行っているだろうか。現代日本、いや世界中で起こる問題は、この政治的時間、つまりは他者との意志疎通の時間がなおざりになってきたことに、原因を大きく求めることが出来る。

2012年2月14日火曜日

国民の良心と政治意識の成長(6)


なぜ、民主主義国家において、このような専制時代の国民意識が残っているのか。その理由は、私たち自身が民主主義を勝ち取ったものではなく、それもまた敗戦によって他国から与えられたものだからである。
政治史は常に勝者の歴史である。歴代の政権者達は、常に何らかの戦いを勝ち抜いてきたものであり、その勝者として、大王が、藤原氏が、源氏が、北条氏が、足利氏が、徳川氏が政治権力を握ったのは自明の理であり、明治時代において藩閥政府が政権を握るに至ったのも、彼らが徳川政権に対して勝利を収めたからである。ただ、この交代劇はそれまでの政権交代劇とは違い、身分を解放したという点では大きな前進であったと言えよう。現在、私たちが当たり前のように思っている自由や権利と比べてみれば、この明治維新における身分の解放は、様々な点でいまだ大きな制約があるように見えるが、しかし当時の言葉でいえば「御一新」というように、実に画期的な事であったと言える。ただ、このような身分解放が、当時のヨーロッパ社会や、現代の日本のような、完全なものたりえなかったのは、それを実行するにあたって、徳川将軍家より身分の高い天皇家を利用したものだったからともいえる。「上下心を一にして盛んに経綸を行うべし」、「官武一途庶民に至るまで各其の志を遂け人心をして倦まさらしめん事を要す」など、一読すればいかにも民主主義的な要素に満ちた文面だが、これは明治の夜明けに布告された「五箇条の御誓文」の条項である。この御誓文には、続いて「朕躬を以て衆に先んし、天地神明に誓い」とあるように、あくまでも明治天皇による誓いを万民に布告する、すなわち「与えられたもの」であった。ここに、維新政府にある政治思想の矛盾性があり、それは繰り返すように当時の事情を考えれば致し方の無い事であった。どんなに伊藤博文が、大久保利通が、坂本龍馬が、才気煥発で天性の魅力ある人間だったとしても、前時代においては政治に口出しの許されぬ一介の下級士族であった。その人間が、その才能だけで政権の交替を図れば、だれもついてくるものはおらず、大塩平八郎の乱のような結末に終わるであろう。しかし彼らは根気よく当時の為政者を動かし、そして将軍を越える地位にある天皇を動かす事で、最終的な勝利を収める事が出来た以上、その力を手放す訳には行かない。そしてここに、明治期における政治的な身分の解放と専制的な拘束性を持つ要素の2つが同居するようになったと言える。
明治期における政治的な身分の解放は、知の解放と平行するように、急速に庶民にも広まり、それは自由民権運動へと結実した。しかし守旧的な力によって政治権力を奪取した藩閥政府に、西洋思想によって解放された民衆の力は恐怖の対象でしかなかったため、それは懐柔と弾圧によって一時的なものとして治められるに至った。明治維新の政治的勝利者にとって、自由民権運動は、彼らの勝利に便乗し、その勝利をもぎ取ろうとする輩にしか見えなかったのだろう。ただ、その力の恐れが、懐柔策として議会の設置と憲法の制定を政府に約束させた事は、更なる一歩であったと言っても良い。もし、この約束がなければ、旧来の政治手法に退行していたかもしれない。ただし、議会の設置と憲法の制定を政府に約束させたという点においては、一歩しか進めなかったともいえ、やはり「与えられたもの」に代わりはなかったともいえる。
ここから先の敗戦に至る政治史も、常に政府は国民に「与える」という手法だけは守り通した。かつてより国民は政治的な意志を表明するようになり、知の解放と、知の紹介者であるメディアがそれを後押しした。しかし政府は、それをうまく利用して、国民に対し「与える」と言うスタンスは崩さず、不満や対立する思想については力によって弾圧した。普通選挙法などの民主主義的な施策も、それが「与えられた」ものに過ぎない以上、その他図名は常に政府が握っており、それが旧来の政治手法を色濃く残す原因となった。